大切なのはモチベーションよりも自制心
よく言われているように、組織のなかで偉くなっていったり、自分で事業をはじめて大きくしていったりするときに、一番大事なのは自制心ではないかと思う。
もちろん、灼熱に燃え上がるようなモチベーションも大事だけど、モチベーションというのは太陽のフレアみたいなもので、燃え上がるのはいっときで長く続きはしない。
モチベーションが燃え上がらないと、何か大胆不適なことに踏み出すことはできない。
だけど、やがてモチベーションの火が弱まった時に、それを続けることができるのは、やはり、自制心、そして、それを習慣とする賢さみたいなものではないかなと、最近痛感する。
たとえば、先日、とてもありがたい電話をもらった。
そして、もちろん最大の感謝の気持ちを感じ、それを伝えながら話をしていたのだが、その電話の最後に、その話題とは関係のないことをつい口走ってしまった。
そのこと自体は、なるべく早く伝えたほうが良いことであることは間違いないのだが、そのタイミングで持ち出す必要のある話題ではなかった。
電話をおいて、一日経ってから、メールすれば良かった。
言ってから後悔したのだが、もちろん、時間の針は元に戻せない。
ほかにもそういうことがあったかというと、すぐに2,3の「あの時、あれを言うべきじゃなかった」を思い出すことができる。
なんだか、僕はあいかわらず、そんな失敗ばかり繰り返しているようだ。しかし、人間関係の上手なひとは、そういう失敗をしない。いや、しているのか、少しはするのか、全然しないのかは、ほんとうのところは知らないが、僕の観測範囲ではやはりしないような気がする。
彼らには見事な自制心が備わっているように思う。
彼らは、吐き出してしまいたいけど、言うべきでないと判断したことは、心の奥に沈めてしまうし、伝えなければならないと思っても、そのタイミングが今ではないと思ったら、いったん、取り出しかけたものを引き出しに戻すのである。
会社員時代、泊まりがけの研修では、夜は自習の後、宴会となりうわさ話に花が咲く。
僕が大好きな鬼上司Aさんに仕えていた時、みんなからさんざん水を向けられた。 その鬼上司は敵と見れば踏み潰してでも前に進むような人だったので、そういう時には格好の話題の種となった。
「で、どうやねん?おまえは、Aさんのこと、ほんまに凄いと思ってんのか?」と営業部の、そちらも肩で風を切って歩いているような大先輩が言う。
「え~~なに言ってんですか、凄いってもんじゃないですよ!マジで、大尊敬してます!」と僕。
「そうか、ほんまにそうか?お前も、Aさんに腹立ってるやろ?ほら、そのグラス開けろよ。もっと、飲め」
「腹なんて立ちませんよ。(ぐいっ!)がんばるだけです。」
「お前なあ、こういうとこでは、そんな返事が一番おもろないんや。ええ子ぶりやがって」
「いや、本心です。お仕えするのはたしかに大変ですけど、ワクワクしますし、めっちゃ勉強になります」
そうやって何度もAさんの悪口を言うように水を向けられた。結局その人は、こういって諦めた。
「お前は、ほんまにおもろないやっちゃなあ・・・」
そういう場所、ああ、危ないと思った時には、僕もちゃんと自制できるのである。
しかし、なにかの拍子につい、口から出てしまい、あとでジクジクと後悔することになるのだ。
「言うべきでないことは言わずに我慢する。言うべきタイミングまで言うのを我慢する」というのは、もちろん、自制心の一面に過ぎない。
自制のできない欲望というのはさまざまなものがある。そして、多くの人が、自制心が欠けるために、長い時間が必要とされる訓練を投げ出したり、飲み過ぎたり食べ過ぎたり眠り過ぎたり遊びすぎたり、ひたすら名誉を追い求めて働き過ぎたりして、まったく成功できなかったり、成功を手にした途端にそれを失って真っ逆さまに落ちていくのである。
人がどれほどの自制心を持っているかということは、毎日試されているし、それを周囲の人たちは観察している。
なかでも、「言うべきでないことは言わずに我慢する。言うべきタイミングまで言うのを我慢する」ということは、誰の目にも明らかだし、自制心の強さを測るリトマス紙のようなものではないかと思うのである。
今日は、つい先日の失敗が身に沁みたので、自戒のエントリー。
Photo by RYAN MCGUIRE