理想のバーLoserはどこにある
そのバーに最初に訪れた人は、木製の分厚い扉に貼られた紙に気がつく。
一見さんの客はほとんど来ないような雑居ビルの3階にあるので、たいていは馴染み客が店に入る前に、その貼り紙に書いてある、その店のルールに注意を促すことになる。
そこには、こう書いてある。
「Loserでは聞かれたことしか話してはならない」
店の名前は「Loser」。失敗した者、負けた者という意味だ。
なぜマスターがそんな名前をつけたのか、ほんとうのところはわからない。マスターは50代の前半というところで、たしかにその頬髭と皺に勝手気ままを許したような顔は、Loserと呼ぶにふさわしい風貌である。
マスターがLoserなのか、自分のことを負け犬と思っているのかどうかはわからないが、少なくとも、客はこの店でありのままのLoserであることを許されている。
店で一番嫌われるのは、自慢話だ。
たとえば、聞かれもしない自慢話をマスターに話しかけたら、マスターは静かに「扉に書いてあるルールを読んで来てください」という。
二人組の客の一方が、聞かれたことをいいことに、延々と自慢話を始めたら、カウンターの向こうからやってきて、「おかわり入れましょうか」と話の腰を折る。
そして、話している客も、いまいる店が、話をする場所ではなく、話を聞く場所だということに気がつくのである。
店の名前のせいか、その奇妙なルールのせいか、そこにはピカピカの成功者、winnerの匂いがぷんぷんとする客はいない。
客の誰もが、さまざまな問題を抱えており、取り返しのつかない失敗を経験しているように見える。友に馬鹿にされ、初恋の人はライバルの手の中に落ち、悔し涙を流し、無数の諦めた夢を抱えている、そんな経験を語れる人ばかりだ。
だから、カウンターについたら、隣の客に気軽に何かを訊ねて、安心して会話を始めることができる。
でも、その店が、負け犬たちが傷を舐め合うだけの場所かというと、実はそうでもない。
僕にとってLoserは、勝ちも負けもなにもかも、立ち止まって、ありのままに人生の滋味を感じることのできる場所なのである。
たとえば、まさにLoserの象徴のように見えるマスターには、じつは秘密がある。
ほとんど自分のことを話さないマスターだから、そのことをどの程度の数の客が知っているのかは知らないのだが、マスターは詩人で、受賞歴もありいくつかの詩集を商業出版してもいるのだ。
僕がなぜそれを知ったかというと、ある時、カウンターに何気なく詩集が置いてあって、マスターに取り上げられるまでそれを読んでしまったからだ。マスターが書いたのかもしれないと思い、翌日、その作者のことを調べてみたら、公開されているプロフィールと僕が知っているマスターのことが見事に一致した。
僕がそのことをマスターに訊ねてはならないというルールはない。
だけど、店の名前はLoserだ。
店に行く度に、訊ねてみたい思いがつのるのだが、訊ねないほうが良いような気がして、まだ確かめてはいない。
さて、バーLoserは、僕の空想の中にしか存在しない。
そんなバーに行きたいと思っているが、きっとどこにあるに違いない、そういう店がどこにあるのか知らない。
僕は若いころ、会社の同期の連中と、「Warmgun(ウォームガン)」という店に頻繁に飲みに行った。それはパブのようなディスコのような店で、いつも70年代~80年代の洋楽をかけていて、ビートルズのホワイトアルバムの曲から店の名前も名づけられていた。
20代後半、僕は会社が終わればなるべく早く家に帰り机に向かう生活をしていたので、友達ほど頻繁にその店に通わなかった。
だが、結婚式の二次会もそこでやってくれたし、仲間の仲人をやってくれたり、なにかと僕らに便宜をはかってくれ、また仲間はマスターに悩みの相談にのってもらっていたようだ。
やがて結婚したり転勤になったり仕事が忙しくなったりして、仲間もあまり店に行けなくなった。
十年以上経ち、ある日、突然、マスターの訃報を聞いた。
お通夜に行って、ガンで急に亡くなったことを知った。
そして、マスターととくに交友が深かった友達から、マスターがどんな気持ちでガンの告知を受けたかを聞いて驚いた。
マスターは「Warmgun(ウォームガン)」の経営だけに満足してたわけではなく、中国人を相手に大きなビジネスを始めようとしていたという。
その矢先のガン宣告だったのである。
友から聞いたマスターの無念の思いは、僕の胸を引き裂いた。
マスターは知らなかったに違いないと思うのだが、Warmgunとは、「他者の犠牲の上に成り立つ自己満足」を意味するという。
もしその言葉からその店のルールを連想するなら、
「相手が嫌がろうが、自分の喋りたいことをひたすら喋れ」
ということになる。
Loserという理想のバー、この世のどこにも存在しないそんなバーを夢見ながら、Warmgunに通う、それが僕らの人生だ。
梅田にあったWarmgunも今はない。
photo by isado