50歳以降の男性的な生き方に対する雑感
僕は20年間、会社員をして、40歳で独立して古着屋を始め、62歳で会社を廃業して引退しました。
男性のマジョリティーであろう価値観で生きてきた人間です。
この文章は、「男性的な価値観で生きている人」を対象に書きますが、表記が面倒なので、以降、「男性」もしくは「男」と略して書きます。
男は、40歳頃に中年の危機を迎えます。周囲に負けまい、なにものかになるんだと志して遮二無二働き、大多数は、なにものにもなれないと気づきます。そこで、転職したり、僕のように独立したりして、「なにものにもなれなくても、自分独自のコアを大切にする生き方」を模索します。そうやって、なんとか人生に折り合いをつけて、中年の危機を乗り越えます。
が、50歳、60歳になると、次の危機がやってきます。
定年でやることがない、孤独だ……そんな話はよく聞きます。が、古着の商売をしていた僕は、歳を取れば知識が増えるだけで、生涯現役でやれるだろう、と思っていました。
そもそも、僕は環境の変化に強いほうです。パソコンが普及しだした頃、ブラインドタッチのできる僕は、人差し指でキーボードを叩く上司たちに、優越感を持ったものです。が、スマホのフリック入力に手こずりはじめ、やがて、インスタなどは億劫になり、若い人に訊ねなければ、インスタを高度には使えなくなりました。
古着屋ですが、売るほうはネットに依存していたので、インスタがピンと来ないのは、大問題です。しかも、古着の競りの仕入れも、20歳ぐらい歳下の人たちに、勝てないことが増えてきました。目の良さ、瞬発力、吸収力などで負けてしまうのです。
50歳頃には、薄々感じて、それでも「古着の世界では」最先端のどこかにいると思っていました。が、60歳になる頃には、老いによる敗北を素直に認めるに至りました。
後継者がいない僕は、コロナ禍もあって、廃業を決めました。
死ぬまでにしたいことがありました。小説を商業出版することです。メジャーな賞で一次通過をしていたので、会社を辞めて全時間をかけて挑戦すれば、デビューできるかも、と思いました。
会社の心配から解放され、まる一日、机に向かう毎日が始まりました。
半年やって、さらに上に行けるかと思いきや、一次通過もしません。しかも、早期のデビューを狙って、アイディアをひねり出す苦しみに、毎日苛まれます。
ほぼ半年やってみて、このままだと、病む、と思いました。
僕はふと気づきます。
特別な才能のない小説書きは、デビューまでに10年というのはざらです。
この苦しい生活を10年続けて、仮にデビューできたとして、72歳。それを、いったい誰に誇りたいんだろう。
子供の頃からの夢を達成したからと言って、あと何年の人生が残っているのだろう。
生き方を間違えている。
なにかを達成しなければ、生きる意味がないという、中年期までの価値観にとらわれている。
書き続けるのは、僕の人生そのものなので、絶対に、やめられない。
でも、「小説家デビュー」は、後付の目標に過ぎない。
明日、死ぬかもしれない。だから、これからの人生は、毎日が、楽しくて仕方がないように生きよう。
小説は書き続けるけど、楽しく生きることを第一の目標にする。
そう思い直しました。
僕はなにをしている時が一番幸せなのか。
文章を書く以外に、なにがしたいのかを探す旅が始まります。
クルマ、釣り、読書、映画鑑賞、旅……
特に釣りは、一時、熱狂的にやっていた趣味です。バスから始め、渓流、フライ、シーバス、船の免許も取りました。でも、熱中できるほど楽しくありません。
どこかで、引退したら釣り三昧というのは、面白くないと読んだ経験があり、そんなはずないやろ!と思っていました。
が、僕の場合は、本当でした。渓流に行けば、極細の糸が見えない……。そしてなによりも、和歌山の素晴らしい自然の中に一人でいても、孤独は深まるばかりです。
クルマで山道を走っても、面白い本を読み、ネットフリックスを浴びるように見ても、心は晴れません。
結局、僕が親しんできた趣味は、すべて一人でやるものだったんです。
例外があります。40年間遠ざかっていたアイスホッケーです。
激しいスポーツなので、とても不安でした。実際に、最初の試合で激しい肉離れをおこし、一ヶ月ほどびっこをひいていました。
やっぱり、この歳では激しいスポーツは無理なのか、と落胆しました。
しかし、すでに防具は買っているし、励ましてくれる仲間もできた。止めるのは、寸前で思いとどまりました。
それが、一年半ぐらい経過した今では、それなりに走って、ホッケーを楽しめています。
所属させていただいているチームには、いろいろな年齢職業の人がいます。そんな人たちと、やんやと声を掛けながらプレーする楽しさは、格別です。
そういえば、今日も公式戦です。ゲットするぞ!めっちゃ、楽しみ!です。
大学時代、体育会のアイスホッケー部でした。
強いチームではありませんでした(4回生時、関西リーグ2部2位)が、4年間をホッケー(とホッケーを続けるためのアルバイト)に費やしました。
苦しく楽しい4年間でしたが、卒業後は、すっぱり止めていました。
ホッケーを再開してから、当時、止めた理由を思い出しました。
ホッケーに時間を使っても、運動に才能のない僕はなにものにもなれない。そんなホッケーに時間を費やしている暇はない。そう思っていたんです。
ろくに学校にも行かず、ホッケーに費やしてしまったのは、正解だったのか、とまで疑っていました。(そのせいで、ずるずると、5年間も大学に通いました)
が、そのホッケーに、この歳になって、助けられました。
僕のホッケーのレベルは低い。週に5回練習しても、どこにも到達できない。でも、楽しい。ほんのちょっとでも、以前にできなかったプレーができるようになった時、めっちゃ嬉しい。胸が弾む。それを新しい友達が褒めてくれたら、天にでも上る気持ちになる。
たぶん、それが、チームスポーツの、純粋な楽しみだったのだと思います。
昔は「目標達成思考」のために、存分に味わえなかった楽しみです。
さて、好きなことを探す旅の途上で、もう一つ、昔から好きだったことを思い出しました。
ホッケーと同じく、才能がなく、どこにも到達できないとわかっていることです。
それで、こんなことを始めようと思っています。(詳しくはこちら)
ただ、コロナの時代です。
専門家は、揃って、1月頃に感染の再拡大があると予想しています。今、始めても、年末年始頃に練習を中止しなければならないかもしれません。コーラスはもっとも感染リスクの高い行動です。感染予防策やワクチン接種の要否などで、メンバーの意見も割れそうな気がしています。
なので、告知はしますが、実際の活動は、来春以降になりそうです。
久しぶりにネット上に長い文章を書きました。
若い人には、60歳の爺はどんな考えで老醜を晒しているのか、不思議で仕方がない人もいるでしょう。こんな爺もいますが、少し想像を補えたでしょうか。
また、40代50代ぐらいの方は、誰かとともに楽しめる趣味の活動を、そろりと始められたらどうでしょうか。今はまだ、なにかを目指して必死で戦っているにしても、いつかはその競争から降りて、別の生き方を模索する日が来ます。
ゴルフもきっと楽しいはずです。僕はゴルフは知りませんが、ゴルフで新しい仲間が増えたり刺激があるのなら、それはそれで良さそうです。でも、長い自由時間があると、きっとゴルフだけでは埋まりません。ほかにもあなたが楽しめる世界はたくさんあるはずです。
しかし、僕のホッケーの例にもれず、60歳を超えていきなり新しい趣味を始めるには、挫折のリスクがつきまといます。
もし、あなたが、歌は下手だけど好き!なら、また、関西にお住まいなら、一緒に歌って、楽しいステージを目指しませんか?