世界一美味しいおふくろのコロッケの謎~佐々木俊尚氏『家めしこそ、最高のごちそうである。』
もし僕が革命家で、明日処刑するから、今夜は一番好きなモノを食べさせてやると言われたら、悩むことなく「おふくろのコロッケを」と言うだろう。
実際は、いまのおふくろは認知症で料理はできず、おふくろからそのレシピを習ってくれた嫁が作ってくれることになる。
おふくろのコロッケは、旨い。
子供のころから大好物で、ずっと食べ続けて飽きることがない。
ウースターソースをさっとかけて食う。
やや大きくなって、「僕は”コロッケ”という料理が好きなのだ」と思い、様々なコロッケを食べてみて、世の料理屋さんや惣菜屋さんの作るコロッケはおふくろのコロッケとは別のもので、僕は”コロッケという料理”が好きなのではなくて、”おふくろのつくるコロッケ”が好きなのだということがわかった。
自営業者である僕は、ある時考えた。
大好きなインディアンカレーも、もとはと言えば、普通のお母さんが工夫してつくったものだ。
きっとおふくろのコロッケも、そのままの味で売り出したら大人気になるに違いない。ケンタッキー・フライドチキンのコロッケ版だ!
で、そのレシピを伝授されている嫁に訊ねる。
「おふくろのコロッケのレシピって、何か特別なヒミツがあるやろ?」
「えっ~~~、特別なことないけどなあ」
「隠し味とか、あるやろ?」
「うううん。塩コショウだけよ。それをミンチと玉ねぎに強めにつけるけどね」
「それだけ?」
「うん、それだけ」
「でも、ほら、外で食べたり、買ってきたコロッケって、まったく別もんやん!」
「そら、そういう売り物のコロッケは、いろんな味つけてあるもん」
「・・・・」
納得がいくような、いかないようなである。
だって、そうだとしたら、普通につくるのが一番美味しいコロッケになるのに、なぜみんな何かを足して、わざわざ美味しくないようにするんだろう?
それとも、僕の味覚が、やっぱり決定的にダメで、もし世の中にミシュランガイドのコロッケ部門というものがあれば、僕が大好きなおふくろのコロッケは「星ひとつ!」ってことなんだろうか?
おふくろのコロッケの謎はますます深まった。
そして、ファーストフードとしての事業化は頓挫したが、嫁が時間のある時に作ってくれるそのコロッケは相変わらずめちゃくちゃ旨いのだった。
たまたま、昨日、ジャーナリストの佐々木俊尚氏の『家めしこそ、最高のごちそうである。』を読んでいて、はっと合点した。
この本で佐々木氏は、「素材の美味しさを、シンプルな家庭料理で、味わい尽くそう、それこそが新しい豊かなライフスタイルのキホンである」という主張をされているのだけど、ああ、そうか、おふくろのコロッケも、そういうことだったんだなと気づかされた。
なにも付け足さない、隠し味もなし。
ただただ、じゃがいもとミンチと玉ねぎのハーモニーを味わうための、コロッケ。
それが最高に美味しくったって、それが僕にとっての最高のごちそうであったって、なんの不思議もない、それでいいのだ、と。
まあ、しかし、僕は料理について何かを語る自信がない。
同年代の佐々木氏が、料理に対してこれほどの造詣をもち、かつ、そのスタイルを十年以上実践されていることに驚くほかない。
佐々木氏のこの本にはレシピも紹介されており、僕のようなものにも実践可能である。
いつも嫁に任せきりにしないで、僕も久しぶりに包丁を握ろうかな!(昔、レストランのバイトで1年ほど料理を作っていたので、ちょっと、通ぶって書いた)
それはともかく、「一番好きなものは?」と訊ねられたら、「おふくろのコロッケ!」ということに、恥ずかしさを感じる必要はないのだと確信した。
そういえば、あさっては「母の日」だ。
今度、嫁があのコロッケを作ってくれたら、グループホームにいるおふくろに持って行ってやるとするかな。
photo by yoshinari