つまらない父親の話
おやじが怖かった。
殴られた覚えはないけど、子供のころ、ほんとうにおやじが怖かった。
おやじは会社員で、一生ヒラのままだった。
ヒラだった理由は、おやじの話によると、学歴と中途採用によるものだったそうだ。
そのわずかな給与をコツコツ貯めた。
おふくろが家計を助けるために、家をパン屋兼文房具屋にしたり、着物の仕立てをやっていた。
おやじは社会的な成功とお金を熱望していた。
会社が終わると毎日まっすぐに帰ってきて勉強した。
最初は、司法試験だったか公認会計士だったかを目指した。僕はまだ小さく、どちらだったかはっきり覚えていないのだが、とにかくめちゃくちゃ難しい試験におやじがチャレンジしているということはわかった。
何年か、おやじがそうやって勉強しているところを見て育った。
やがて、おやじはそれを諦めた。
おそらく、そのとき、社会的な成功や名声を得ることを完全に諦めたのだと思う。
しかし、絶対に出世できない会社員を辞めて、自営をする夢はまだ捨ててはいなかった。
時計屋になると言って、通信販売で時計修理のやり方を学びだした。
本屋をやると言って、郊外にできた新しい駅の店鋪物件を押さえるかどうか、めちゃくちゃ悩んだ。ただし、この話は、僕が大きくなってから、母親から聞いた話だ。
だから、おまえは医者になれ、とおやじは始終言っていた。
医者なら、会社に入って余計な苦労することはないし、人様のためになり、お金だって稼げる。おれのようになりたくなければ、勉強しろ、と。
厳しかった。
僕は毎日とりあえず机の前に、長時間座って過ごした。
8時以降にテレビを見ることは許されず、『シェーン』とか、名作映画が放映される時だけそれを見ることが許された。
本を読め、おやじはそう言って、5年生の夏休みに、梅田の旭屋に連れて行ってくれた。30冊買ってやるから、好きな本を文庫から選べ、と。
大盤振る舞いに天にも登る気持ちになった僕は、旺文社文庫からジャック・ロンドンの『野生の叫び声』(これは読めた)とか田山花袋の『蒲団』(さすがにこれは難しすぎた)とかを選んで買ってもらった。
おかげで僕はやたら本の好きな子供になった。
おやじの意に反して、勉強するといって部屋にこもっている間、参考書や問題集はそっちのけで、こっそり本を読みふけっていた。
国公立で、家から通える大学、というのがおやじの出した進学の条件だった。
すでに息子を医者にすることは諦めていた。
そのつもりで勉強していたら、一浪後、息子の将来が心配になったらしく、受験の直前に、関西の私学を併願で受けておいたらどうかと言い出した。
僕はおやじの心配をありがたく辞退して、なんとか京大の農学部に合格した。
おやじは、めちゃくちゃ喜んだ。
生まれてはじめて手放しで褒められた。どうやら、会社の同僚や親戚に、それを吹聴してまわったらしい。
僕はといえば、ろくに学校に行けなくなり、アイスホッケーにうつつを抜かした。
それを知らないおやじは、高級一眼レフのカメラと、長い長い望遠レンズを買い、試合に現れて僕のプレーを下手な写真におさめて喜んでいた。
バイトで明け暮れていたある日。
測量のバイトの最中、運転中に人身事故を起こしてしまった。
結果的には大きな怪我でなかったのだが、直後は、相手、そして僕の周囲の人たちに、どれほどの迷惑をかけるかわからない。
雷を覚悟しておやじに電話をして言った。「人身事故、やってしまった」
おやじは事故の詳細はいっさい聞かず、僕を一言も責めず、
「おまえは大丈夫なのか?大丈夫なんだな?元気を出せ!しっかりして、やるべきことをやれ」と。
5年でなんとか大学を卒業して、会社に入った。
おやじがその就職に、いよいよがっかりしたのかどうか、わからない。
ただ、しばらく結婚前家から通っていた間、僕が仲間と夜遊びをして遅く帰ってくると、まだ起きていて、「社会人のくせに朝まで遊び惚けるって、どういうことだ!」と激怒した。
19年後、その会社を辞めると家に報告に行ったときには、今度こそは心底がっかりした顔をした。ほったらかしにしていた無精髭を見て、ため息をついて、こう言った。
「そんな貧相な髭伸ばしてたら、金も人も逃げて行くわな」
僕はおやじが30才の時の子供だ。
僕が今55才だから、おやじは85才。
それはある日突然にやってきた。
おやじが駐車中の車に自分の車を当ててしまったという。
軽く擦ってしまっただけだけど、中に乗っていた相手が、車の修理代以上の金を要求しているらしい。
かなり丸くなったおやじは、相手に応じて待ち合わせの場所に出かけていき、いくらかのお金を払ってきた。
そのことをおふくろが僕にぼやいた。「相手がいい人だからっていうんだよ」
おやじから相手の携帯電話番号を聞き、そいつに電話を入れて話をつけた。
いつも守ってくれていたと思っていたおやじ。
僕が守ってやらなきゃならなくなった瞬間だった。
おやじはおふくろとなんとかふたりで暮らしていたが、最近、認知症がすすんで歩けなくなったおふくろをグループホームに入れた。
それでおやじも楽になるだろうと、ほっとしていた矢先だった。
救急隊員から電話があり、「息ができなくなった」っていう救急コールがあって、お父さんを病院に連れて行きましたという。
病院に見に行ってくれた妹が、なんでもなかったよ、連れて帰った、と連絡をくれる。
やっと土曜日に時間をつくって、おやじとおふくろに会いに行った。
自身のお父さんの面倒をみてよくわかっている嫁が、大変でしたねとおやじの背中を撫ぜてやると、小さくなった背中をさらに丸めて、おやじがわんわん泣き出した。
「ほんとや、ほんとに、死ぬかと思うほど苦しかったんや。これでも、迷惑をかけんようにと思って、やったことや。それやのに、みんなでワシを認知症あつかいしやがって・・・」
そういえば、次の日曜日は、父の日だな。
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