ICHIROYAのブログ

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次女は「麦(むぎ)」で、長女は「祥子(しょうこ)」!

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  バレンタインだから、甘っちょろい話でも許されるだろうか。

 
 いつも書いている次女の「麦」の上に、「祥子(しょうこ)」という長女がいる。
 彼女はすでに結婚して山梨県に嫁いでいる。

 よく、「『麦(むぎ)』って、いい名前ねえ!」と褒められるのだが、「祥子」という名前について、気がきいているとか、何かのコメントをもらったことはない。
 「麦」という名前は、クリスチャンである嫁が聖書の言葉「一粒の麦、地に落ちて死なずば」からひっぱってきた。
 命名は20年以上昔で、キラキラネームなどと言う言葉はなかったが、ちょっと変わった命名だったように思う。

 で、おねえちゃんは?
 「祥子」
 あら、普通なのね。

 いつもそういう話の流れになる。

 さて、祥子は僕の性格を色濃く受け継いだ。麦はどうやら母親に似ているようだ。
 祥子は勉強が好きで、本を読むのが大好きだ。
 彼女が高校生の頃から、本や映画について共通の話題がいつもあった。
 僕より凄い点もいくつもある。(親ばか許せ)
 たとえば、行動力がすごく、大学時代には中国の小さな村へインターンをしにいった。インターン先の凄腕女性社長とは日本で知り合い、その彼女に招かれてのことである。親の僕らは心配が先に立ち、相手がそれほどの大物社長とも知らず、了解するまえに忙しい彼女を料理屋に引っ張り出して、相手の真意を確かめるようなことまでした。
 彼女が現地で働いている時、日本人のビジネスマンが何かの用で訪れて、彼女をみつけ、「こんなところに若い日本人の女子学生が働いている!」と驚嘆したという。
 まあ、しかし、ここぞと言う時に勝負弱い面があったり、人当たりが良すぎてできそうもないほど様々なことを抱えすぎてしまう面もある。

 で、上の、お嬢ちゃんは、なぜ「祥子」さんなの?
 いや、「祥」の地には幸福とか「めでたいしるしのあらわれ」というような意味があるからですよ。

 そう答えてきた。

 ほんとうのところは、もうひとつの意味がある。
 祥子が生まれたころ、僕はまだ小説家になるか、いつか文筆で身を立ててやろうと思っていた。それが自分という人間のコアになるはずであった。
 いまではなぜそれを娘の命名の拠り所としたのか、自分でもわからないところもあるのだが、僕にとって、「しょうこ」の「しょう」は、「文章」の「章」であった。
 「祥子」という名前に、妻は「幸」を、僕は自分の夢を埋め込んだのである。

 30才半ばで書くことを諦めて以来、「祥子」という名前は、幸運の兆しであり、かつ、僕の夢の残滓であるというややこしいことになってしまった。
 そして、僕は「祥子」という名前にこめた意味をけっして口にしないようになった。

 しかし、ここ3年で、少し状況が変わってきた。
 毎日書いているし、毎日読んでくださる方がいる。
 まだ試してはいないが、「文章を書くことが好きだから、妻と相談して、『章』とするところを『祥』としたんですよ」と言っても、さほど恥ずかしくはないと思えるようになってきたのである。

 まあ、もちろん、そんなことは、当の祥子にとっては何の意味もないことではある。僕は「なんでも一番になれ」と「いちろう」と名づけられたようだが、はっきりいって、僕はどんなことでも「一番」にはなれないし、そんな過剰な期待を背負わされても困るという思いもある。


 ところで、その祥子には娘がいる。
 僕にとっては孫で、その子は「いち乃」と名付けられた。
 なんだか京都の芸者さんみたいな古風な名前だ。

 「いち乃」の「いち」になにか意味があるのか、訊ねてみたことはない。
 

 

 
*祥子が書いてくれたイラストと文章です! 

『ばぁばとひょっとこと私~山梨脱力日記1』(和田祥子氏より寄稿いただきました!) - ICHIROYAのブログ

   

photo by Logan Adermatt