認知症になってしまったあなたは、「なにもの」になる?
まだ意識がしっかりしていたとき、デイサービスなんて行くもんか、あんな皺くちゃのババアと一緒に何かするなんてぞっとする、などと言っておられた嫁のお父さんだが、今では、デイサービスの時間が待ちきれず、夜中に起きてきて、そろそろ行くから、玄関開けてくれ、とおっしゃる。
そして、デイサービスに行って、元気に食事を「完食!」し、カレンダーやらお正月の箸袋を作って持って帰ってくる。
それには折り紙や絵がついており、ちょうど幼稚園児か小学校低学年の子どもたちが作りそうなものだ。
お父さんが、そういうものをおとなしく作っているということに、驚くのだが、施設の人たちが、なぜそんなものを作らせているのか、じっくり考えたことはなかった。
指を動かすことで、脳に良い影響を与えるのかな、程度に考えていた。
しかし、今朝、この記事を読んで、その意図がはっきりわかった。
Owning our Health: I Remember Better When I Paint (描いているとき、よく思い出すの:健康でいるために)
ヒルゴスさんという女性は、75年間にわたり、海や船の絵を主に描いてきた有名な画家で、93才で亡くなられた。
アルツハイマー病になって、仕事は中断したものの、娘さんの助けで、絵を再開。亡くなる前の3年間には、何百という絵を描いた。
その絵のいくつかはこちらで見れるが、彼女の記憶の中にある風や波や潮の薫りが、独特のタッチで表現されていて、見るものを不思議な感覚に誘う。とくにその抽象的な表現は面白い。
アルツハイマーのために失われたと思われた彼女のコア、描きたいものが心の中にあって、それを自分のやり方で表現して、他人に何かを伝えるという彼女の自我は、健在だったのだ。
そして、それは、どんな薬より彼女の病状に効き、「描いている時、よく思い出す」と彼女は言っていたという。
アート、クリエィテブな活動というのは、認知症を改善する不思議な力があるということだ。
この体験から、彼女のお嬢さんは、ヒルゴス・ファンデーションを立ち上げて、アルツハイマー病や認知症の人たちの、アーティスティックな活動をサポートする活動を行われている。
医者から見放されてしまい、複数の医者からいただいた、どんな薬も効かないお父さんだが、折り紙つきのカレンダーを作っているとき、ひょっとしたら、子供のころのことや、嫁が生まれた時のこととか、ふと思い出して、その記憶の中でそれを作っていることを楽しんでいるのかもしれないな、と今更ながらに思った。
ところで、年を取って認知症になってしまった時、人はみな、そのコアにあるものが、最後の自我、すっぱだかの自分になるのかな。
そうなったら、カネの亡者は相変わらずカネカネカネ、エッチが大好きなひとはエロエロ爺さん婆さんに、人を支配することが好きなひとは裸の王様みたいになるのかな。
ヒルゴスさんのように、最後に残るものが、「海を描くこと」だった人生は羨ましい。
僕は?
「ポリエステルやな、安もん!」とか、「レーヨンと綿の混紡やろ、タグ見せてみ」などと言って、女性ヘルパーさんの着ているものをべたべた触っては、気持ち悪がられる「古着屋爺さん」になってしまうのだろうか?
出来ることなら、シュールなことばかり言う「ボケ詩人」となりたいものだが・・
*写真はヒルゴスさんの絵