ICHIROYAのブログ

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短編小説13 『臭い話』

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                                                                                                 photo by Stan Lupo

「この人は桁外れに凄い、負けったっていう人、磯崎課長にもおられましたか?」
 僕は福島の地酒を磯崎課長のグラスに注ぎながら訊ねた。その種の質問ははじめてではなく、まあ、話の接穂として、辛口の人物評でも引き出そうとして選んだのだ。「単に桁外れに凄い人」であれば、幾人かの答えは容易に想像できた。山根社長、本間営業部長、大井戸管理部長・・・やり手の磯崎課長がいつも名前を出して、褒める人たちである。だが、「負けた人」というのは、存在するだろうか。口当たりの良い地酒を何杯も喉に流し込んでいたので、ついつい危険な領域に踏み込んだかもしれない問いを発してしまった。
「負けたか・・・」
 磯崎課長は、そのゴジラのようないかつい顔で少しの間思案した。
「そういえばな、山喜サービスエリアが改装オープンした時、施設長をやったんだが・・・」
 僕らの会社は高速道路などの道路施設とサービスエリアを管理する会社で、地域ごとにわかれて設立されている会社のひとつだ。上昇志向の人たちから見れば、きっと、限りなく退屈で地味な仕事だと思われているかもしれないが、人々の生活のインフラを支えたり、最近ではショッピングセンター顔負けの店舗で地域の産業の活性化をはかったりと、それなりに魅力のある仕事だと思っている。
 暇さえあれば折り紙をしていた母は、さまざまな職を転々としながら、女手ひとつで僕を育てあげた。社会的な地位とか金銭では恵まれなかったが、ぜがひでも大学に行けと学費まで捻出してくれた母に、ほんとうに感謝している。
「ちょっと、臭い話なんだが・・・いいか?」
 目の前に並べられた美しい郷土料理を眺めながら、僕は頷いた。
「ほら、半年前のリニューアルの時に、グルメコートとかコンビニを入れたし、ドッグランをつくったり、休憩施設も新調したろう。トイレはとくに念入りに作られていた。最新式の自動洗浄式の小便器とか、大理石のような黒塗りの洗面台とか、全面鏡とか乳児を寝かせる台とかが設置されて、まるで一流ホテルのトイレみたいに生まれ変わった。で、リニューアル初日、たしかにそのトイレはぴかぴかに磨き上げられていた。だが・・・・」
 磯崎課長は馬刺しをひとつつまみ上げて、垂れに浸し、口に放り込んだ。
「トイレのそこかしこに、粗末な瓶に入れられた花が飾ってあった。洗面台の鏡の横には、華やかな色画用紙に、色紙の貼り絵とか折り鶴なんかが貼り付けてあって――― おい、色紙なんだぞ。デザイナーが『シチリア島の白壁みたいな』とか指定したかもない壁に、原色の色紙なんだぞ。そこに、うまいとは言えない文字で、『運転お気をつけて』とか、『安全に帰ることが一番のおみやげ』などという交通安全の言葉が添えられていた。しかも、黒い大理石のような素材のトイレの入り口の壁に、実物大と思えるほどの大きなクリスマスツリーの絵とサンタクロース!それも、色紙を切って、貼り絵で作ってあった。俺は頭に血を上らせて、『誰がこんなことをやれと言った?』と怒りまくった。そしたら、清掃担当の外注先のマネージャーが飛んできて、『すみません、改装前、トイレはいつもこうやって飾っていたものですから』と泣きついてきた。もちろん、『馬鹿野郎、山喜サービスエリアは生まれ変わったんだ、取ってしまえ!』と俺は吠えた」
 僕にはその場面が鮮やかに脳裏に浮かんだ。阿修羅のごとくトイレの前に立ちはだかって、吠える磯崎課長。
「そしたらな・・・」磯崎課長がカップから一口、地酒をすすって言った。
「あの黄色い清掃のユニフォームを着たおばちゃんがモップを持ったまま出てきてな、俺に食って掛かってきた。『いつものように、私達の仕事をやっただけじゃない。何が悪いのよ』。馬鹿か、俺は、ますます頭に来た。たしかにそれまでは、古くて汚いなんの取り柄もないサービスエリアだったから、それも愛嬌で良かったかもしれないが、リニューアルして生まれ変わったんだ。幼稚園の教室みたいな飾りもんはもういらんだろう。というか、あってはいけないだろう。なんで、このおばちゃんは、そんなことがわからないのか。俺はそのおばちゃんを見ていると、ますます頭に血が登って、マネージャーを叱りつけた。『すぐに撤去してしまえ!』 そしたらな、そのおばちゃんはモップを持ったまま、俺に向かってきた。慌ててマネージャーが止めにはいったけど、あやうくモップの柄でどつかれるところだった」
 ちょっと話が見えなくなっていた。「負けたと思う、凄い人」の話のはずであった。
 不思議そうな表情をしていのだろう。磯崎課長はニヤリとして続けた。
「そのおばちゃんな、『こんなところは辞めてやる』って叫んで、モップを投げ捨てて、ほんとうに帰っちまった。マネージャーが慌てて後を追いかけたけど、俺は呼び戻して、とにかく、その飾りものを撤去させた。まあ、そんなんで、ゴタゴタはしたけど、なんとか飾りものなしで、トイレもオープンできたんだ。俺としちゃあ、マネージャーの野郎、しっかりしろよってとこで、そのおばちゃんのことも、二三日で忘れちまった。だが、一週間ほど経った頃・・・そのおばちゃんの姿も見なくなったが、マネージャーが自らモップと雑巾を握ってるじゃないか。いったい何ごとかと思ったら、あのおばちゃんの後を追って、何人か辞めちまったらしく、欠勤も多くなって困っていると言うんだ。マネージャーのやつ、近辺の職場からスタッフを回していたんだけど、にっちもさっちもいかなくなってたらしい。たしかに、せっかくの新しい設備が、いつも清潔というわけにはいかないようになっていた。で、よく聞いてみると、もともと、山喜サービスエリアのトイレは古くて汚かったから、清掃スタッフのなり手が少なくて、みつかってもすぐ辞められちまってたらしい。そこへ、あのおばちゃんが応募してきて、とにかくトイレを綺麗にし始めた。便器の掃除も、それまで手つきのブラシでやっていたところを、ビニール手袋をした手で直接こすって、隅々まで綺麗にするようになった。それだけでは飽きたらず、花を活けたり、安全運転のメッセージを張り出すようになった。いつの間にか、山喜サービスエリアのトイレは、個人の家に招かれて、トイレを借りるような雰囲気の、暖かで清潔なものになった。おばちゃんの働き方を見て、それまで自分の仕事を好きになれなかったスタッフたちが、またひとり、またひとりと、熱心に仕事をするようになって、欠勤率も劇的に下がった。それだけじゃない。普段から綺麗になったトイレは、それまでよりずっと少ない人員で清潔に保てるようになった。で、そんな時に、あのリニューアルオープンになったんだ」
 なるほど、やっと話が少し見えてきた。
 目に見る結果、それも最高の結果にしか興味をもたないと思っていた磯崎課長が、その清掃担当のパート女性に興味をもったということは、かなりの驚きであった。
「その人、なかなか、凄い人だったんですね」
「まあ、聞け。せっかくの新しいトイレだ。俺は、そのできないマネージャーのせいにして、どこよりも清潔なトイレを諦めるつもりはなかった。俺は仕方なく、自分でビニールの手袋をして、モップを握ってトイレに入った」
「えっ? ご自分で?」
「ああ。便器からはみだしているものを見て、お前らのケツは曲がっているのか? わざと外にしてるのか? って、腹がたって仕方がない。で、何日かそうするうち、汚いことには少し慣れたけど、だんだん、スタッフの気持ちが身にしみてきた。で、あのおばちゃんが、なぜ、あんな飾りものをつくるほど、やり過ぎちまうのか、やり過ぎてしまわなければならなかったのか、わかるような気がした。でも、やっぱり、折り紙とか色紙の貼り絵がこのトイレに似合わないことも、間違いのないことだった。なんとかあのおばちゃんに帰ってきてもらうことはできないものか、俺はさんざん考えた。で、こうすることにした。あのおばちゃんが、どうしてもサービスエリアのトイレを利用してくれる人に伝えたいメッセージがあるのなら、それを表現できるツールというか、場所を、きちんと作っておけばいいじゃないか。このトイレのコンセプトとか、イメージとか、デザインと調和するようなものを作って、そこでだけ好きにやってもらえれば、なにも問題はないじゃないか。で、俺は上層部にかけあって、毎日、野の花を活ける場所や、運転者に向けてメッセージを伝えるためのメッセージボードを作ってもらった。そして、その完成を待って、マネージャーに、おばちゃんに帰ってきてもらうよう交渉してくれと頼んだ」
「へえ・・・一本取られましたね」 
 僕は驚いた。磯崎課長が折れていたのだ。
 いつも議論では負けず、筋を通すことにかけて、それ以上の強さを持った人を見たことのない課長が、そのおばちゃんのために、わざわざ設備をつくって、帰ってきてもらうように頼んだ。ビニール手袋を手に自らトイレ掃除をしたことも驚きであったが、それ以上におばちゃんの主張に屈したことは、考えられないことであった。
――― しかし、その人は・・・
「でな、その時、おばちゃんは、すでに会社を辞めて、雑居ビルなどの管理や清掃をするほかの清掃の会社に移っていた。マネージャーはそのおばちゃんのもとを尋ね、彼女の意見を取り入れて設備も改装したから、ぜひ帰ってきてくれと頼んだ。おばちゃんは、スタッフの創意を活かすことのできる設備を喜んだが、復職については決して首を縦に振らなかった。彼女が帰ってきてくれないと、せっかくの施設が清潔に保てないからとマネージャーは頼んだ。彼女は施設の改装に礼を言い、あとに残ったスタッフや、辞めるといって欠勤しているスタッフに電話をして、私がいなくても以前のように綺麗なトイレにするように伝えておくから、と言った」
「その人は、結局、帰ってきてくれなかったんですか?」 
「ああ・・・」
「課長が、嫌われたんですか?」
「いや、どうやら、そうでもないらしい。おばちゃんは、帰ってこない理由をしつこく訊ねられて、こう答えたそうだ。『あそこでは、私は勝ったから』と」
「磯崎課長に勝ったと?」
「いや、違う。『汚いトイレを、綺麗なトイレにすることに』、だそうだ。自分たちのやり方がある程度認められたなら、自分が帰らなくても、あのトイレは綺麗に保たれる。汚かったトイレを綺麗にする戦いに、勝ったんだと。だから、また、自分はほかの場所の、汚いトイレを綺麗にしてやるんだ。そして、そこで働く仲間に、少しでも元気を与えてやるんだ、と」
「その話を聞かされた時、負けた、完敗だと、俺は思った―――おい、どうしたんだ? 泣いてるのか?」
「いえ、泣いてません。でも、ちょっと嬉しかったんで」
「だから、言ったろう、臭い話だって。馬鹿」
―――それのおばちゃんは・・・・・・
 喉元まであがってきたその言葉を、僕はなんとか飲み込んだ。
「すみません、臭い話は苦手です」
 磯崎課長はゴジラのような顔で微笑んで、「ほら」とおしぼりをつきだした。
 テレビで漫才を見て笑いながらコタツで折り鶴をつくり、それをもって職場に行き、誰よりもトイレを綺麗にして、サービスエリアを訪れる人に暖かいメッセージを贈り、同僚たちにも働く誇りを与えていたのは。
 半年前に大げんかをして山喜サービスエリアを辞めて、今は別の清掃会社でビルのトイレを掃除しているおばちゃんとは。
 それは、僕のオフクロ以外にはありえなかった。