ICHIROYAのブログ

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短編小説12 『父の腕時計』

f:id:yumejitsugen1:20160611073923j:plain                                                                                 photo by Sippanont Samchai

 その部屋に入った時、私を取り囲んだのは、おびただしい時計であった。
 明治時代にも遡れるかという振り子の見える掛け時計、国産なのか、ヨーロッパの生まれなのかもわからないアールヌーボー調の木製の置き時計、昭和後期のモダンなデザインのプラスチックの置き時計、そして、あちこちに置かれた腕時計。
 その時計の多くは10時9分、そして秒針があるものは36秒を指していた。
 よく見ると、それ以外の時刻を指しているものの多くは、4時15分付近。つまり、私のつけているセイコーの腕時計と同じ、現在の時刻であった。それらの時計は、動いているのである。
「私にはわからないけど、これだけ古い時計があれば、価値のあるものもあるでしょう」
 依頼人の山崎玲子がそう言った。
 この部屋は、依頼人の話のとおりであれば、最近亡くなった彼女の父がひとりで住んでいた部屋である。
 郊外の古い一戸建てのその家は、たしかに老いた男性がひとりで住んでいたに違いない、すえた臭いが濃厚に漂っていた。
 あちこちに重ね上げられた新聞や雑誌や捨てても問題のないはずの各種のDMや手紙。壁に貼られた紙には、市役所や病院の電話番号がかかれている。おそらく、多くの薬を飲んでいたのであろう、カレンダー状のビニールポケットに薬が小分けして入れてある。
 普通の部屋と異なるのは、やはりそのおびただしい時計である。
「時計のコレクションがご趣味だったんですか?」
「知らないわよ」
 腕を組んだ涼子は携帯につけた銀のチャームを振り回しながら言った。
「で、全部で、いくらになるのよ」
 この時計すべて、そして、台所にある鍋や安物のセットの陶器、旧式のテレビやビデオや洗濯機、湿った布団や時代遅れのスーツ、そのほかすべての一切合財を買い取って運び出し、この部屋を空にするのが私の仕事である。
 買い取ったその品物を、高く買い取ってくれるさまざまな分野のものを扱う仲間に売り、それでも引き取り手のないものは、お金を払って市の巨大な焼却炉に放り込んで灰にしてしまう。ボランティアでやっているわけではなく、それが私の商売だから、依頼者に払うお金と仲間に売って得る金額との差額が、私の仕事の報酬となる。
 もちろん、商売としては、なるべく安く買って、高く買ってくれる相手を探さなければならない。
 さまざまな事情を抱えた依頼人のことを思えば、高く払ってあげたいし、いつも世話になる仲間のことを思えば、安く売ってやりた。
 だが、それをつきつめると稼ぎがなくなり生きていけなくなるし、私の時間あたりの稼ぎがいつまでたっても増えていかない。
 だから、それぞれの依頼人によって、その間合いを慎重に測る。
 この山崎玲子という依頼人は、普段は東京に住んでいるという。
 この家に住んでいた父親は家族とほとんど音信不通の状態で暮らしていたらしく、彼女は親族を代表して父親の遺品整理をするために、この地にやってきたのだ。
「どんなお父さんだったんですか?」
 部屋に置かれていたものを点検しながら、私は訊ねた。
「ひどいヤツ。母や私を捨てて、したい放題。孤独に死んだのは、自業自得だわ」
 部屋の隅に小さなテーブルが置かれていて、そこにはスタンドがあり、時計がいくつかと、眼につける拡大鏡、小さな各種の道具、小分けされた時計の部品らしきものが乗っていた。
「時計修理を仕事にしておられたんですか?」
「だから、なにをしてたかは、知らないわよ。借金もないかわりに、お金も残さなかったから、年金でぎりぎりの生活をしてたんじゃない」
「でも、これって、時計修理の道具じゃないですかね」
 山崎玲子は私の側に寄ってきて、はじめてそこにあるものに、少し興味を示した。
「そういえば、私が子供の頃、時計屋になるとか言って、通信教育を受けていたわ。結局、諦めてしまってたけど・・・」
「じゃあ、その時の夢に、また挑戦しておられたのかも・・・」
 ふん、山崎玲子は鼻を鳴らして、キッチンテーブルに戻り言った。
「あの歳で時計修理なんて、馬鹿みたい。次から次へと、なにやっても、モノにならないのよ。その度に、家族に迷惑をかけて・・・最後にはオンナをつくって・・・」
 しばし追想の世界に遊んでいたようだが、突然現実に帰ってきて、きつい口調で言った。
「そんなことアンタには関係ないでしょ。で、いくらになるのよ。私は急いでいるのよ。値段によっちゃほかの業者呼ぶから、早く値段を言って」
「すみません、あと10分だけ、時間をください。価値のあるものがみつかるかもしれないから」
 依頼人は呆れたとでも言うように視線をそらし、ハンドバッグからたばこを取り出して一本を咥えた。
 私の見立てでは、この部屋に骨董的な価値、リサイクル品として専門業者が興味を抱くようなものはない。唯一、膨大な量の時計の中に、価値のあるものが混じっているかもしれないが、腕時計を見る限りでは、ロレックス、ロンジンなどの有名ブランドのものは見当たらない。置き時計、掛け時計の中に、よほど古く、価値のあるものがある可能性はゼロではないが、腕時計の内容から考えると、それは浜辺の砂を一握りしてみて、その中に砂金が混じっている程度の確率でしかないように思える。
 が、手紙や書類を押し込んだテレビの下の引き出しの中に、小さな箱をみつけた。その箱は真っ赤な包装紙で、不器用に包まれていた。包を開いて、蓋を取る。
 そこにあったのは、シャンパンゴールドのレディスのロレックス、デイトジャストであった。新品ではなく、1990年代半ばにつくられた中古品である。
 が、贋物ではない。この家でみつけた、はじめての財産らしきものであった。時計を扱う仲間に持ち込めば、10万円は超えるだろう。
「早くしてよ」
 背中に依頼人の声が飛んで来た。
 私はそのロレックスを箱に戻して立ち上がった。
 キッチンテーブルでたばこをふかしている依頼人に、私は言った。
「残念ですが、価値のあるものは、なにもなさそうです」
「なにもない?そんなことはないでしょう。古い時計とか、こんなにあるし、電気製品だって、それなりにあるわ」
「旧式の電気製品には、ほとんど価格はつけれません。時計にしても、単に古いだけでは、値段はつかないんです。そういったものは、逆に、処分するための料金がかかります」
 山崎玲子の眼がつり上がっている。   
「ほんとうは、逆に引き取り料金をいただきたいところですが、それではあまり気の毒だ。せっかく、呼んでいただいたことだし、5万円は出しましょう」
「5万円?全部で?」
 驚きと怒りで、声が裏返っている。 
「もう、いいわ。帰って―――」

 その時、チャイムが鳴った。玄関に誰か来たのだ。
 玲子は言葉を切ると面倒くさそうに立ち上がると、玄関に出ていった。
―――ロレックスで10万円。何点か売れるものを選んで5万円。入の合計が15万円。依頼人に5万円。すべてを運びだして、処分するためにかかる費用、アルバイト代やトラックの経費、リサイクル代が8万円。出の合計が13万円。収支、つまり、私が一日半を費やして得る報酬は、2万円。
 どう考えても、5万円は精一杯のところであった。
 私は彼女の言葉通りに帰ることにした。手帳をカバンにしまい、玄関に向かった。
 玄関で、玲子と男がもめていた。
 チノパンとジーンズ地のシャツを着て無精髭を生やした60代と思われる男性が、訴えていた。
「――― 旦那さん、亡くなったの知らなかったんで・・・でも、時計を持ってきたら、いつもいくつかは買い取ってくれたんです。旦那さんのためにと思って、探してきたんで、代わりに買ってもらえませんか。一本、千円でいいんです。生活が大変なんです。お願いします、もう来ませんので、最後に買ってください」
「だから、要らないのよ。父はもう死んだんだから、時計は要らないの。帰って」
「あなたのお父さんは優しかったです。無理に買ってくださってることはわかってました。どんな時計に価値があるかとか、動かないなら『10時9分36秒』にしておくと、少しでもよく見えるとか、教えてくれました。もう来ません。でも、今日、苦しいんです・・・お願いです、買ってください」
「帰らなかったら、警察、呼ぶわよ」 
 私はその男が掌に見せている3本の時計を見た。
 それはクオーツが腕時計の世界の征服を果たしてしばらくした頃に作られた安物で、一本百円の価値もないものであった。
 だが、その男の訴えるような涙目を見ると、財布を取り出さざるをえなかった。
 3千円を出して、その男に渡した。
 男は「ありがとうございます」と言って、時計と一緒に3枚の千円札の一枚を私に返そうとしたが、私に受け取る気がないと知ると、何度も頭を下げて引き戸をゆっくりと締めた。3本のおそらく壊れて動かない腕時計を私の手に残して、ガラスの向こうに映ってた男の姿は小さくなって、消えた。
「余計なことをするのね」
「お父さんの時計趣味はお金にはならなかったかもしれませんが・・・お父さんにも、多少は、いいところもあったようですな。ともかく、私は、帰ります」
 私は革靴に足を入れた。
「ねえ、あんた。あんた、時計のこと詳しいの?」
「いえ。専門じゃありませんから」
「そうよね。だって、古臭い地味な時計してるもんね」
 靴を履き終えた私は、彼女に向き直り、まっすぐにその傲慢な光で輝く目を見て言った。
「このセイコーは、父の形見です。たいして価値のあるもんじゃありませんが、父の代からずっとオーバーホールして使い続けているものです」
 彼女は私の言葉を無表情に聞いていたが、刹那、その表情にすこし暖かなものが息づいたような気がした。
 その時、はじめて気がついた。
 山崎玲子は、案外、美しい顔をしていた。
「では―――」
 私は引き戸を開いて帰ろうとした。
「待って。5万円でいいわ」
「いや、それはさっきまでの話で、値段は変わりました」
「いくらなのよ」
「5万3千円です」

 結局、ビジネスはその金額で決着した。
 だが、2週間後にすべて精算してみると、私の収支はマイナス8万円近くであった。
 ロレックスが偽物だった?
 欲にくらんで目を曇らせた私がツボにハマった?
 違う。
 山崎玲子に黙っていたロレックスは睨んだ通り本物であったが、ロレックスの下に小さな紙片が入っていたのだ。
 そこには、こう書かれてあった。
「玲子へ 就職おめでとう!」
 それは、父から娘への就職祝いのプレゼントに違いなく、1990年代の半ばに、用意したものの贈ることができなかったものと思われた。
 そのロレックスが玲子のもとに届けば、大切なものを伝え続けるに違いない、私はそう確信して、それを宅配業者に託したのであった。
 もちろん、値段を算定した時には、その存在を知らなかったからと付け加えて。

 損はしたが、なにはともあれ、私は「買取業」としてプロの仕事をした。
 あの時、ロレックスの存在を依頼者に告げることもできたが、それを告げれば「買取ビジネス」は成立しなかっただろう。
 また、あの部屋にある一切を買ったのだから、ロレックスを返す商売上の責務はなかったようにも思える。
 だが、私は、父の残してくれた時計、父が一生真面目に働き続けた時にずっと寄り添っていた時計をはめているのである。
 その父の時計をつけながら、そのロレックスと手紙を返さないという選択はありえなかった。

 私の父もすでに他界して10年になる。
 今年も、もうすぐ、父の日だ。