大型犬を飼うとことの喜びと悲しみ
長年、大型犬を飼いたいと思っていた。
喫茶店で、どこかのおやじさんが、年老いた大型犬を足元にはべらせて、コーヒーを飲んでいる姿には、強いあこがれを感じたものだ。
3年前に、ついに、その望みがかなって、ラブラドルレトリバーがやってきた。
そして、大型犬を飼うということが、実際のところどういうことなのか、やっとわかった。
ということで、大型犬を飼うことを検討されている方の参考にと思い、その喜びと苦悩をまとめてみた。
大型犬をすでに飼っておられる諸氏は、付け加えることがあれば、どんどん、コメントに付け加えていだだきたい。
では、どうぞ。
大型犬を飼うという労苦
(1)毎日、朝夕45分、必ず散歩に連れ出して、大きなウンチを拾ってやる必要がある
(2)そのため、最低でも、夜のお付き合いをあきらめるか、朝の早起きを習慣化するなど、生活を変える必要がある
(3)ときに、危険である(長女は突然走り出したラブのためにひっくりかえり、後頭部を強打。救急車で運ばれた )
(4)なんでも破壊される危険がある ( キッチンの椅子、おばあちゃんの眼鏡、敷居など数知れず )
(5)獣医のすすめるままに、はいはいと言っていると、いつのまにか血液検査などもされ、気がつくと天文学的な出費となっている
(6)ご飯の時間が、自然界のルールに支配されるようになる。つまり、油断すると、豚しゃぶに用意した皿をペロリといかれ、肉のない夕食となる
(7)おしっこを失敗したとき、床に出された水量は、バケツをひっくり返したほどのものとなる
(8)家中、毛まみれになる。とくに春先は、抜け毛が床に何センチも積もる
(9)よだれや鼻水のよごれがあちこちに見られ、そもそもそれが汚れであるという認識が薄れてしまう。あわせて、鼻も鈍感となる
(10)赤の他人に思いっきり尻尾を振って近づいていくので、激しい嫉妬を感じ、胸が苦しくなる
(11)お留守番をさせるのが不憫で、出不精になる。
(12)重い。足にのられると、血流が途絶えがちとなる。介護が必要になったときが、思いやられる。
(13)愛するもの、執着するものがひとつふえる。つまり、交通事故にあったらどうしよう、変なものを飲み込んだらどうしよう、元気のないのは不治の病にかかっているんではないかと、心配で不眠症となる
(14)残念ながら、「ムックとラム」の、ラムほど賢くないことに、焦り、羨望、その他、言葉にならない複雑な感情をもってしまう
(15)15年後には確実にいなくなるという事実に、ときに、死んでしまいたくなる
大型犬を飼うという喜び
(1)なんとなくブルーな気分のとき、となりに座って、頭を膝の上にのせ、僕の目を見上げてくれる
(2)誰かをぎゅっとしたくなったら、ちょっと迷惑そうな時もあるけど、基本的にはいつでも、ぎゅっとさせてくれる
(2)どこまで理解しているのかわからないけど、僕の話を、いくらでも聞いてくれる
(3)冬、ベッドに入ると続いてやってきて、僕のフトンの中に入り、べたーとひっつく。めちゃくちゃあったかくて、ふわふわと気持ちがいい
(4)毎日家に帰ってくるたびに、全身全霊で、再会を喜んでくれる
(5)ついつい散歩が短くなりそうなとき、もう少し歩かなきゃご主人さまの体に悪いとばかりに、遠回りしてくれる。
(6)たまに言葉がわからないふりをして無視するけど、おおむね、僕の命令に従順に応えてくれる。どんな命令でも、反論だけは、しない。
(7)家族でわいわいと写真をみたりしているとき、必ずやってきて参加してくれるので、アタマカズが増えて賑やかになってうれしい
(8)家族の誰かが一方的に叱られていると、そばに来て体を寄せて味方になってくれる
(9)助手席にお行儀よく座り、カーブでスピードを出しすぎると、シフトレバーを持った手に前足をのせて、危ないからスピード落としてという
(10)まん丸で上を見ると下に白い部分が見える眼、ときどき笑ったように見える口、垂れているけどぷりぷりと弾力のある耳、おばあちゃんみたいな下あごのたるんだ肉。すべてがとってもかわいく、見ているだけで幸せになる
(11)真っ黒だった鼻の色が、年とともにみるみる薄くなり、いかに時の過ぎるのが早いか、今という特別な、幸運な時間には、限りがあるのだということを、思い知らせてくれる