ICHIROYAのブログ

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あなたの中に生きる虎(『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』を観てきた)





ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』を見てきた。
時間の都合で、3Dではなく、2Dで見た。
たしかに2Dでも映像は美しく、見たこともないような海の幻想的なシーンになんども感嘆した。


ところで、虎とひとつの船に乗り合わせての航海という設定は、個人事業主(もしくは小さな会社の経営者)の僕にとっては、なんだかありそうな状況である。
個人事業というのは、自分一人ではできない。
チカラのある人達との連携、共同作業があってはじめて、それなりの仕事ができるのだが、まずもって、チカラのあるひとというのが、単なる仏様のようなお方であることは少ない。
チカラのあるひとほど、虎のような一面を持っている。
つまり、油断していると、食われてしまうのである。


お互い、それぞれの一番大きな動機に従って生きており、お互いのその動機が満たされる範囲で、共同作業、連携した仕事というものが成り立っている。
動機は、あくまでカネの場合もあるし、技術の習得の場合もあるし、相手の人脈へのアクセスを目論む場合もあれば、単に名誉のためという場合もある。
少ないけれど、なかには、もちろん、純粋に社会に貢献するため、という場合もある。
共同作業を始めたときには、うまくバランスがとれていた両者の動機も、上手く行っても、上手く行かなくても、やがては、バランスが崩れてしまう。
そして、最悪の場合、漂流している船に残された虎と少年のような状況に陥ってしまうのだ。


もちろん、そういった状況を超えた、真の友情というものも存在するし、カネを超えた「義」だって存在するのだが、ともに漂流する状況になる前に、その存在を確信することは、とても難しい。


さて、映画に話を戻す。
虎と少年を船に乗せて、227日間漂流させたらどうなるのか。(以下ネタバレです~未見のひとは注意)
興味津々だったストーリーは、少年パイが虎をいくぶんか調教することに成功。嵐で息も絶え絶えとなった少年と虎の乗った船が、やがて、メキシコに漂着して終わる。
そして、最後の最後に、もうひとつのストーリ-が紹介されるのだが、そのシーンで、虎の話は少年パイが体験したことのメタファーであることが明らかにされるのだ。
実際に救命ボートに乗ったのは、動物たちでなく、少年パイと母親、船のコックと負傷した船員の四人で、殺し合うなかでかろうじて最後に生き残ったのが、少年パイだった。
つまり、虎というのは、少年パイのうちにある、生きるチカラ、生きるためには人をも殺めようとする強い意思のことなのである。
そして、少年パイが浜に漂着して助かったとわかったとき、その虎は、少年のほうを振り向きもせずに、森の中に去っていく。 
森の中というのは、実は、少年パイの心の奥底だったのだ。


というように、観たのだが、ほんとうにそういう意図でつくられていたのかな、という心配が少しある。
この映画で一番不満なのは、その点で、第2のストーリーは、最後の最後に、いわば、唐突に、少年の口から手短に語られるだけなので、えっ?えっ?えっ?えっ?えっ?(もういいか)という戸惑いのまま、エンドマークになってしまう感じなのだ。
そのあたり、もうちょっと、うまくプロットをまとめて欲しかった。



閑話休題、そういえば、業界のあるヤツに、「お前と仕事するのは、あの映画みたいなもんや。できたら、虎と一緒に漂流は、したないわ」と言ったら、「よく言うわ。どっちが虎か、わかれへんやんけ。虎はお前のほうやろ」と返された。


映画の少年パイのなかにいた虎。
さて、ヤツが言うように、僕のなかにも、虎はいるんだろうか・・・
そして、あなたの中には?