ICHIROYAのブログ

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800万戸のうちのひとつの空き家の物語

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 嫁の実家は奈良の富雄にある。
 豪華な家じゃないけど、素敵な家だった。

 駅から富雄川沿いに10分ほど上がったところの丘の斜面を切り開いた場所にある。木枠にガラスをはめ込んだドアを開けるとチャームがガラガラと鳴る。
 中に入って通されるのが広い長方形のリビングルーム。18畳分ぐらいの広さだろうか。長辺はほとんどが全面アルミサッシの窓になっている。窓の外にはお父さんが手作りしたウッドデッキ、その向こうには植木が並んでいて、さらに遠方に、むこうの丘に並ぶ住宅やマンションが見える。その窓から、大量の太陽の光が適度なやさしさに弱められて差し込んでくる。
 
 短辺の片側にはお父さんの自慢のオーディオセットが置いてあり、大量のクラッシックのレコードとCDが陳列されている。
 昔、僕がプレゼントしたアブストラクト・アートの小さな額が、ずっと飾ってある。
 レコードの背が不均一に数センチ出たり入ったりしているので、ある時何気なく押し込んでしまい、お父さんは小さな声をあげた。お父さんはレコードを聴く順番を決めていて、わかりやすいように、少しづつ背の位置を変えておられるたのだった。
 そのそばにロッキングチェアが置いてあり、お父さんはスピーカーを鳴らさず、イヤホンをつないで、そのロッキングチェアでクラッシックを聴くのが日課だった。

 短辺の逆側には、6人がけのダイニングテーブルと飾り棚が置かれている。
 お誕生日とかクリスマスには、お母さんがロウソクを灯す。
 窓と反対の長辺の壁に沿って大きなカウチがおいてあり、その上にはお母さんが気の遠くなるような刺繍の仕事でつくった花模様の大きな額が飾られている。
 家のなかがもっとも華やかになるのは、もちろんクリスマス時期で、お母さんはそのテーブルの近くに大きなクリスマスツリーを立てる。ツリーの下に華やかにラッピングしたプレゼントをつぎつぎに置いていく。お母さんはほんの小さなものでも、たとえば、靴下1枚でも、丁寧に包んでリボンをかけて、「いちろうさんへ」とか「オーパへ(お父さんへ)」とかのメモをつけて置いていくので、クリスマスにはそれが山となっている。

 「イチローさん、いいのよ、昼寝でもしてて」
 お母さんがいつもそう言われるので、ついつい遠慮もなく、カウチの前に置かれたコタツに足をつっこみ寝転ぶ。お母さんはすぐにクッションを枕にくれて、眠ったふりをしていると、いつもそっと、蒲団から出ている僕の身体に毛布をかけてくれる。

 2階には小さな部屋がふたつとクロゼットがひとつ。
 階段にはたくさんの写真が飾られている。高校時代のハツラツとした表情の嫁、香港の露天で湯気の立つ鍋を見ているお父さん、おふたりでヨーロッパ鉄道旅行をしたときの記念写真。結婚式のときの僕のアップの写真まである。
 登り降りするたびに、階段は、家族のタイムトンネルになる。 
 
 家をとりまく小さな庭には様々な樹が植えられていて、クレドという雑種の犬が走り回っていた。クレドは普段は家に上がることは許されないのだが、お父さんがリビングの一角に毛布をしいて呼び上げたときだけ、そこにいることを許される。
 庭の隅にブロックを組んでつくったかまどがあり、休みの日、お父さんはそこで簡単な料理をしたりした。

 お父さん、お母さんにとって、僕はあまり良い義理の息子じゃなかった。嫁にかなりの苦労をさせてしまったと思う。
 でも、おふたりとも、どこまでも優しかった。
 だから、先日、嫁に聞かされてびっくりした。
「あのヤロー、今度、ぜったい、絞め殺してやる!」とお母さんが僕のことを言ったことがあるという。まだ子供が小さかった頃、みんなでどこかに買い物か遊びに行った時、僕が嫁と子どもとお母さんをほったらかして、ふらふらとどこかへ行ってしまいなかなか帰ってこなかった。困惑したお母さんが、ホンキでそうおっしゃったと言う。
 初耳だし、そんな状況があったことすら、微塵も記憶にない。
 でも、それを聞いて、なんだかスッキリした。

 お母さんは、間質性肺炎とすい臓がんと長い間戦い、最後は治療を諦めて、そのリビングルームにおいたベッドに帰ってこられた。
 お父さんがつきっきりで看病された。

 お母さんはその家で静かに亡くなられた。
 家で小さなお別れの会をしのだが、霊感があるという嫁のいとこが、庭で犬が二匹楽しそうに走り回っているよ、と言った。
 2匹というのは、その時すでになくなっていたクレドと、その前に飼っていたもう一匹の犬だったらしい。

 お父さんの一人暮らしが危うくなって僕らの家に来てもらったとき、奈良のその家は綺麗に改装して貸家にした。
 家の中にあったもののうち、大切なものは我が家に移し、あとのものは、杉野家のすべての思い出の染み込んだとるにたらないものたちは、業者さんにすべて引き取ってもらった。お父さんが大切に集めたコレクションもなにもかも、単なる廃品となった。
 
 空っぽになり、綺麗になった家は、すぐに犬好きの家族が借りてくれた。
 が、事情でその家族が出て行かれたので、家は空き家になってしまった。
 
 日本には800万戸以上の空き家があるという。
 僕のおやじがなんとかひとりで住んでいる家も、遠からず空き家になってしまうだろう。
 僕らが今住んでいる家も、駅からやや離れているので、空き家にならない保証はない。
 これからも空き家はどんどん増えていくだろう。
 
 嫁の思い出の詰まったその家は、空き家になってもう半年になるが、借り手は現れない。
 かつてそこに住み、家族のストーリーを紡いだ大切な場所だった家を、正真正銘の「空き家」にしてしまわないために、嫁と僕はまたひとつの決断を迫られている。

 
   photo by Thomas PLESSIS