それは才能でも、運でもなく
なにかとっても素敵なものをみつけた時、僕らは、それが生み出されたのはなにか特別な才能によるものと思ってしまいがちだ。
それは、『幸運にも』自分にはないなにものかを持っている人が、神様に許された特別の僥倖である、と。
僕が大塚呉服店さんのHPや店舗を見せてもらった時、まさに、そんな風に感じた。
彼らの着物の見せ方や売り方は革新的なもので、ああ、またこの業界に天才が生まれたんだなと思った。
すべての呉服業界の人がそう思ってはいないかもしれないが、おそらく、呉服マーケットの先を懸念をもって見ている多くの人は、そう見ているのではないだろうか。
さて、僕はいま、彼らのどこが凄いかということについては、長くなるのであえて触れない。
そうではなくて、彼らのその革新的な店舗や見せ方がなぜ生まれたかということについて、知らない人にお伝えしたい。
たまたま、僕は大塚さんと仕事を通じて知り合いになった。
そして、大塚さんのブログを読ませていただくことで、なぜ、彼がその革新をおこなえたのかということが、手に取るようにわかった。
その過程は彼のブログに詳しいが、一言で言うと、それは神様から与えられた僥倖ではなく、すでに彼に与えられていた美的な才能でもなく、親から譲り受けたものでもなく、ましてや、ありとあらゆる幸運に巡り会えたからでもない。
それらは、実際に彼が、この世界で悩み、動きまわって、教えを乞い、時には無謀にも相手の懐に飛び込み、信頼してすべてを預け、そして、ほんの少しの幸運を引き寄せて、達成したことなのだ。
ラグビーの日本チームの快挙に湧いたが、その背後にはそれを可能にするコーチや選手たちの戦略があったという。
大塚呉服店さんが成し遂げつつあることは、すくなくとも、僕にとっては、ラグビーと同じようなインパクトがあるのである。そして、失礼を顧みずに言うなら、ラグビー同様、突出した資質や運を、最初から持っていたわけではない人が、自分の道を悩みつつ自分の道を見つけ出した、鮮やかな「必然の勝利」をそこに見るのだ。
僕には、ラグビーの大金星と同様、大塚さんの快進撃は、大きな勇気をくれるのである。
大きな成功を目にするたびに、幸運や持って生まれたものの違いを想像して、そこで考えることをやめてしまう。だが、真実は、そのほとんどの場合、そこに至った必然の物語があって、それを成し遂げることができた最大の要因は、やはり、その人が持っていた強固な意志に違いない思うのである。
*僕の記事より彼の言葉で↓
*大塚呉服店さん誕生のマル秘(?)ストーリーはこのシリーズ↓
photo by Emmanuel_D.Photography