ICHIROYAのブログ

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かっこ悪く儲けるのは簡単だが、きれいに儲けるのは難しい~その脱サラやめたほうがいいです!

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 世の中には様々な公式のようなものがある。

 たとえば、最近僕の頭の中にある公式のひとつに『かっこ悪く儲けるのは簡単だが、きれいに儲けるのは難しい』というのがある。
 
 もちろん、今更ながらっていう話ではあるのだけど、たとえば、着物の業界で言えば、『かっこいい』の最先端は『最高の品質とデザインの着物を製造する』であろう。そして、最高にかっこ悪い(と一般に思われているのは)『露天で古着を販売する』ではないだろうか。
 
 さて、僕は古着屋で今ではネット専業だが、かつては露天で販売したこともある。
 たまたまそこには屋根があったのだけど、地面にゴザとビニールシートを敷いて、着物を積み上げて販売した。
 お客様にはビニールシートを踏み越える人もいるし、きつく引っ張って破いてしまう人もいる。
 僕は経験がないが、雨の日は最悪だ。みんな簡易な屋根を立てているが、もちろん、濡れてしまうこともあるし、お客様の傘から滴り落ちる水滴が着物に垂れているのに気がつかない方も多い。

 さて、職業に貴賎はないとはいえ、肩書は、かたや「呉服製造業者」や「伝統工芸士」であり、かたや「露天商」であり、世間の見方は天と地ほど違う。
 僕は会社を辞めてこの世界に入って、はじめて古着屋の仕事を知り、神社などの市で露天販売をされている古着屋さんたちの生活や考え方がどんなものか、知ることとなった。

 一般の人には想像しにくいと思うが、そのような露天商(*以下、古着を扱う方の場合と思っていただきたい)のかたのなかには、おそらく、一部上場企業の管理職以上に稼いでいる人もいる。ほかに店ももっているが、そこにお客様が来られるからという理由で、あえて露天の商売を続けている人もいるし、ほかの仕事の一貫として露天での販売をしている人もいるし、お客様と話したいからそうしているという人もいる。
 また、古い着物に関する知識では、誰にも負けないような人もいるし、着物や古い着物を売るという仕事を愛することに関して、右にでるものがないような人もいる。
 さらに言えば、働くことは市のある日などの最低限にとどめ、毎日を最大限に自分の好きなように過ごす主義を貫いて、豊かな人生をおくっておられる方もいる。

 
 そう言っても、おそらく多くの人、とくにビジネスエリートの人たちは、僕が綺麗事を言っていると感じられるだろうと思う。だが、たとえば、僕が尊敬した師匠のひとりは、お店も持っていたが、たしかに「露天商」でもあって、その商売の形態を愛しておられたのだ。


 そういう人たちと「呉服製造業者」との違いはなんだろうか。
 どちらが多く稼いでいるのかという点では、もちろん「呉服製造業者」のほうが望める天井は高いはすだ。だが、いまの時代、大きな「呉服製造業者」であっても、簡単に稼ぐことは難しそうだ。高額なものをたくさん回しても、利益が残るかどうかは別の話だ。実際のところ、儲かるかどうかという点では、さほど差がないように思えるのだ。

  また、働くということの本質と喜び、つまり、お客様に喜んでもらってそれを自分の汗の対価としていただき喜びとするということについて、両者は大きく異なるとは思えない。
 
 だが、もちろん、「呉服製造業者」になるには、とてつもない困難な道を歩きぬかなければならない。デザインやファッションの才能も必要で、誰もがなれるものではない。
 龍村平蔵氏の創業期の物語を読むまでもなく、「呉服製造業者」として身を立て、世間に認めて貰うことは、とてつもなく困難なことだ。
 最大の違いは、やはりその難易度にある。 
 そして、結果として、「呉服製造業者」と「露天商」が得られるものの最大の違いは、やはり、世間からの評価だ。いいものを作れば、百貨店や高給呉服店は大切に扱ってくれるし、雑誌やメディアに出たり、世間的に通用する様々な「勲章」も与えられる。
 「露天商」で得られる周囲からの敬意というのは、どれほどがんばっても、せいぜい仲間内や業界内に留まる。
 
 
 さて、僕がなぜこんなことを書いたのかと言えば、中年で脱サラする人の多くが、体面にこだわって失敗しているということを、リアルにわかって貰いたかったからだ。
 ミドルが脱サラしてビジネスを始めるとき、ほとんどの人が『きれいに儲けよう』とするのだ。
 たとえば、着物の世界で言えば、「呉服製造業者」になりたいと思うし、少なくとも綺麗な店をもって「新品のパリっとカッコイイ」着物を売りたいと思う。
 今、こんなことを書いている僕もそうだった。みんなが嫌がる最低の汚れた商品を、地べたに広げて販売しようなどとはとても考えられなかった。
 しかし、『きれいに儲ける』のはとてつもなく難しい。
 綺麗でかっこいい独自のコンセプトの呉服店を銀座にオープンすることは、お金があれば誰でもできるだろう。だけど、それで儲けるのは、めちゃくちゃ難しい。
 かたや
露天での商売は、実際のところ、業界に入って翌月からでもやろうと思えば始められる。しかも、ほかの業者が要らないというようなものを貰ったり安く買い集めて、それを格安で販売すれば、損をするということはなく、どう考えても最低賃金は稼げるのである。そして、それをとっかかりに勉強と工夫を続ければ、いつか店も持てるだろうし、一部上場企業の管理職並みの給料だって難しくはない。

 だが、それができる人、脱サラして『かっこ悪く儲ける』ことのできる人は、ほんの一握りだ。

 それが何故か、理由はわかっている。
 中年期に脱サラしたいという動機のほとんどが、「会社で思うように評価されていない」、つまり、いわば世間様の評価が自分の思うほどのものでないから不満に思い、それならいっそ自分で商売をしよう、となっているのである。
 「世間様の評価」を引きずったまま、脱サラして自分のビジネスを始めるから、『かっこ悪く稼ぐ』ことができない。『かっこ悪く稼ぐ』ぐらいなら、そもそも脱サラをしていない人たちなのだ。
 『かっこ悪く稼ぐ』というのは、地べたで商売をすることだけに留まらない。ネットで売る、頭を下げまくる、普通の人は働いていない時間に働くなど、どの業界にも無数に存在しているはずだ。


 「脱サラして、自立したい」という声をよく聞くようになった。
 相談されたら、僕の答えはだいたい否定的である。

 僕は『きれいに儲ける』ことを否定しているわけではない。
 『きれいに儲ける』ことができる人もいるだろうが、それができるひとでも、100%の成功とはいかず、成功の可能性はせいぜい半々ぐらいではないだろうか。何度も失敗できる境遇にある人、若く背負っているものが少なく、時間がある若いには人そういうチャレンジをしてもらいたいものだと思う。
 龍村平蔵氏のような方がおられなければ、この世の新しい地平が切り開かれることはないことは重々承知している。
 だが、残念ながら、たいていの人は龍村平蔵氏のような能力を持たない。

 ミドルで脱サラしたいと迷っている方はぜひ、自分の胸に、家族に訊ねてみて欲しいと思う。
 あなたが『きれいに儲けたい』のであれば、それが出来る能力を本当にもっているのか、また、何度か失敗しても再起出来る状況にあるのか。
 また、自分の脱サラの動機が「人様からの評価」に起因していないだろうか。
 もし違うとしたら、ほんとうに『かっこ悪く儲ける』ことができるだろうか。
 あなたは本当に奥様とふたりで、地面にビニールシートを広げてモノを売るほどの覚悟があるだろうか、と。  

 

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