空の観客席を前にピアノの練習をするがごとく
自分の毎日を誰かに晒すことに慣れている。
なにかをいいことがあったり、なにかを達成したりすると、SNSに書き込む。
文章を書いて、ブログを公開する。
いつの間にか、どんなことも、どんな努力も、誰かに見てもらっていることが、最大のモチベーションになっている。
でも、みんな、知っている。
SNSで語られたシーンをつなげても、その人の真実の毎日は伝わってこない。
まったく、他人の知らないところで、何年も懸命に努力を続けている人もいる。
僕の毎日の時間の多くは、着物を触りそのものの良さを見出したり、それをスタッフに教えたり、値段を考えることに費やされる。
たまに、素敵な発見があるが、そうやって毎日百数十枚の着物を手に取り、ただ淡々と時間が過ぎていく。
なにも面白いことはない。
SNSでつぶやくようなことは何もない。
20年振りに小説に挑戦している。
現在11万語強。
書いても、誰かが面白がってくれるわけでもなく、読んでくれるわけでもなく、ただ書く。
途中で投げ出してしまわないように、書いていることは表明した。
でも、それが極めて孤独で、成果が生まれるかどうかわからない、忍耐力のいる作業であることにはかわりがない。
観客のいないステージで、ピアノの練習をするようなものだ。
クリエイティブな仕事には、3年の壁があるという。
最初のうち、楽しむ側として目は肥えていても、自分が作れるものは、遠くそのレベルに及ばない。
多くの人はその間に、自分のつくるものが嫌になって努力をやめてしまうという。
しかし、その3年をやりぬいたひとこそが、価値のあるクリエィティブなものを生み出すようになるのだと。
SNSで、友人知人たちがステージにあがっているところばかり見ていると、彼らが誰もいない観客席を前に、どれほどの時間の練習を積み上げてきたか、ついつい忘れてしまう。
しかし、もっとも大切なのは、ステージの上にいない間、あるいは空の観客席を前に、どんな努力を、どれほどの時間、我慢強く継続したか、ということだ。
いま、僕は、その時間をこそ、大切にしたいと思っている。
photo by nosha