「グローバルエリート様」の、恥ずかしい自分語り・・・
自分語りというのは、気が引ける。
最近はとくに、ブログに来ていただいたら、最低なにかひとつおみやげを、たぶんご存知なかったろうことを見つけて帰っていただきたいと思っているので、よけい気がひける。
最近、ブックマークやツィッターで記事を紹介いただけることが増えた。(そういう時はたいてい重なるので、ちゃんとお礼が言えなくて、申し訳ありません!心より感謝しております!)
だけど、そうなると、ありがたいコメントだけでなく、ネガティブなコメントも目に入るようになってきた。
「これはひどい」とか「句読点だらけのぶちぶちの文章」とか「グローバルエリート様が飯のタネを見つけた」とか「そんなこと書くなら、おまえがやれ」とか。
どんなことを書いても、ネガティブな反応もあることはわかっているし、最近はやり過ごすことも覚えた。
僕がそういったことで、見本としているのは、人気ブログ「脱社畜ブログ」の日野瑛太郎さんだ。彼の主張は、常に、僕とは正反対の位置から発言されている。
そのため、彼のブログを読むと、たしかにそういう面もあるが、でも、と必ず反論したくなる。
だけど、この日本社会が過労死や自殺の多い、大きな問題をはらんだ社会であることは間違いない。
僕にしてみれば、納得できない面も多いが、彼のとっているスタンスからの発言も必要だ。
僕のように感じる人も多いようで、彼のブログ記事には、賛否両方のコメントがつき、ブログでの反論も書かれる。
僕が彼を偉いなと思うのは、彼の主張が常に首尾一貫しており、論理的な反論には、緻密な論理できっちりと反論を返すところだ。
ときに弱気になり、ネガティブなコメントを一日中頭のなかで反芻している自分が情けない。
彼みたいに強くならなくちゃ。
で、今日は、あまりワクワクするトピックをゲットできなかったこともあり、「グローバルエリート」様であるらしい自分について、ちょっと書いてみたい。
たぶん、ブックマークやツィッターから僕の記事を読みに来ていただいたひとは、「京大卒の古着屋にして、お笑いブロガー」というプロフィールにひっかかるものを感じておられるのではないか、と思う。
天下の京都大学を卒業して、古着屋?
プロフィールを読んでいただくと、僕がいかにダメダメな、コンプレックスに満ちた人生を送ってきたのかわかってもらえると思う。
なぜ、ブログのプロフィールに、わざわざ「京大卒の」などと書いていたかと言えば、それもなりふり構わず必死にブログを書いているからだ。
このブログだって、一日も欠かさず、毎日書き続けてもうすぐ600記事になるが、500記事ぐらいまでホットエントリーやバイラルとはまったく無縁だったのだ。
何度もやめかけたし、その心境を記事にもした。毎日毎日、明日こそはたくさんの人に喜んでもらえる記事を書こうとして500回空振りを続けたのだ。
それだけ空振りを続けていると、「京大卒という学歴を自慢するのか?」などという躊躇はどこかへ飛んでしまい、「僕が利用できる資源は全部利用してやる」となる。で、生まれたプロフィールが「京大卒の古着屋にして、お笑いブロガー」なのだった。
それにしても、ロクに読まれもしないブログを書いて、こんなプロフィールを掲げたことは、赤面ものだった。
僕のブログを読んでくださっているという古着屋の仲間に会うと、隠れてしまいたくなるのだった。
なぜ、古着屋をやっているのかも、聞いて欲しい。
プロフィールに書いたような事情で、大学卒業後、百貨店さんに19年お世話になったのだが、42才の頃に、心が折れてしまった。たぶん、「まあヤルほうだけど使いにくいヤツ」っていうのが僕への評価で、そのまま会社に残っても、どうしても自分の居場所が想像できなかった。
まあ、精神状態も普通じゃなかったのかもしれない。
中学生と高校生の娘ふたりがいるのに、会社を飛び出してしまった。
過分な退職金をいただいたが、子供がふたりいれば、2年もすれば底をつくことが予想された。
当初考えていた事業は実現性のなさに気がついて放棄、いくつか考えたビジネスもつぎつぎに諦める。
僕を信じてついてきてくれた嫁、子供、親たちが、さすがに不安気になってくる。
で、僕自身、自分には事業を起こしたりするチカラはなかったのかもしれない、おカネがつきる前に再就職するしかないのかも・・・という考えが何度も頭に浮かびはじめたころ。
たまたま、神社の露天で、古い着物に出会ったのだった。
それをアメリカのオークションサイトebayで売ってみた。
そしたら、なんと、ちゃんと儲けがでたのである。
そして、その「商売(あきない)」を、死に物狂いで続けて、今に至っているのだ。
海外にものを売っているので、たしかに、グローバルではあるけれど、僕らはグローバルであろうとして今の商売を始めたわけではなく、そこで「商い」ができたから、それをがんばってきたに過ぎない。
それも、リーマンショックで大いに縮小し、いまでは国内向けの「商い」にシフトしている。
たしかに、嫁は英語が達者だ。
でも、僕の英語は、受験英語にすぎない。数学が苦手だったので、英語などの暗記科目で勝負したので、英語は得点源だった。だけど、サラリーマン生活でほとんど忘れてしまっていた。
この仕事をはじめて、少しづつ思い出し、また、ブログのネタに困って海外の記事を読み漁るようになって、また少しだけ、英語のチカラはアップしたかなとは思うが、いまだに英語力は大したことがない。
面白い動画を見つけても、説明文も英語字幕もないものは、理解できないものが多い。
たいした「グローバルエリート」だと思う。
職業に貴賎はないが、人気のある職業とそうではない職業はある。
たぶん、人気度で「古着屋」という職業を評価したら、上位にはないだろう。
だから、おそらく、農学部とはいえ「京大」を卒業したものが、「古着屋」を営んでいるといえば、世間的には「負け犬」と目されるのかもしれない。
でも、もちろん、僕は「負け犬」でいる期間が長かったし、「負け犬」の看板は慣れっこだ。
やれることを一生懸命にやり、家族や十数人いるスタッフたちをちゃんと養えるように頑張るだけだ。
一応、独立して10年以上事業を続けているのだから、独立そのものは成功で、僕の立場を、羨んでくださるかたもおられるかもしれない。
だけど、明日をもしれない小事業主だ。毎日、死に物狂いなのだ。
そして、そもそも僕がここにいるのは、毎日、少なくともご飯が食べれているのは、「たまたま優遇退職金の制度ができて」、「たまたま古い着物に巡りあって」、「たまたま嫁が英語ができて」、「たまたまebayが急拡大中だった」からなのだ。
もっと言えば、男前ではなかったけど、少なくとも健康な身体に生まれ、貧乏だけど教育熱心な両親に育てられた幸運があったからだ。
僕より恵まれたひとも、そうでないひともたくさんおられる。
だけど、誰もが、自分が与えられたものと、運に翻弄されながら、一生懸命に生きているに過ぎない。
そして、「おまえがやれ!」って話。
以前からブログを読んでくださっている方はご存知だけど、いま、古着屋の仲間と「Kimono Archive」というプロジェクトを進めているところだ。
僕がブログで紹介する起業家たちは、みんな凄い。
でも、それを読んだ読者が、みんな彼らのようになることなんてできない。
人にはそれぞれ、与えられた道がある。
なぜか知らないが、僕と嫁、仲間に与えられた古い着物を扱う仕事。
この仕事をより価値のあるものにしたい。
そのために、NPOをつくり、「Kimono Archive」プロジェクトを成功させて、100年後、200年後の世界中の人たちに、日本の着物って素晴らしかったんだということ伝えていきたい。
貴重な着物たちが、雲散霧消して失われてしまう前に。
それがおカネを生むことはないけれど、僕や嫁や仲間は、自分の仕事をさらに意味のあるものにしたくて、役に立ちたくて、それを始める。
それが上手く立ち上がって、回り始めるかどうか、まだわからない。
僕は評論家じゃない。まして、「おまえがやれ!」って言ってんじゃないんだ。
「ぼくも、やるべきと思うことを、必死でやる!」のだ。
「Kimono Archive」も。
古着の商いも。
そして、このブログも。
それで、どこに行き着けるのか、僕は知らない。
どうあがいても、一介の古着屋の人生だ、たいしたところには行けまい。
だけど、どこへ行き着こうと、誰がなんと言おうと、後悔はしない。
これが、僕の人生だから。
photo by ^Sandra^