ICHIROYAのブログ

元気が出る海外の最新トピックや、ウジウジ考えたこととか、たまに着物のこと! 

★★★当ブログはじつはリサイクル/アンティーク着物屋のブログです。記事をお楽しみいただけましたら最高。いつか、着物が必要になった時に思い出していただければ、なお喜びます!お店はこちらになります。★★★


「私は方向音痴!」というひとたちへ


by Walt Stoneburner


むかしから疑問に思っていたことがある。
「方向音痴」という、「方向感覚がひとより鈍い」性向をもつひとが本当にいるのか、っていうことだ。


比喩的な「方向音痴」ではない。
日本の行く末、我らの社会、人類の諸問題について、「方向音痴」なひとは多く、そういったみんなを、「方向音痴」な政治家が、あらぬ方向に導いてくれる。
まあ、とりあえず、それはおく。


現代人において、「空間での位置把握能力が劣っている」ということが、本当に立証可能なレベルで存在するのか、と僕は問いたいのである。
嫁はぜんぜん道を覚えない。
「何度も通ったじゃないか!」と言っても、
「道を覚えるのが苦手だし~~~」みたいなことを言う。
嫁は「方向音痴だし」とは言わないが、「方向音痴だし~」みたいに言う人々と、ほぼ同類である。


断言しよう。
それは、「方向音痴」でも、「道を覚えるのが苦手」なのでもなく、「道を覚える気がない」だけの話なのだ。
助手席に座れば、最近はETCとナビのせいで、ドライブに何も手をかす必要がない。
ず~~っと喋り続ける。
運転をまかせても、道は、助手席の僕の指示待ちで、他のことを考えているか、喋っている。
道について、何の注意も払わずにおいて、「道を覚えるのが苦手」っていうのは、いったい、どれだけ説得力のない言い訳なんだよ。


「方向音痴だし~」と誰かが言っていると、ああそうか、このひとは、空間で自分の位置を把握する能力が劣っているので、いろいろと今まで苦労されたんだろうな、ちゃんと、助けてあげなくちゃ、などとは、金輪際思わない。

知らないところへ行ったり、道に迷いそうになったりするたびに、「方向音痴だし~」などと甘い声音で誰かにあまえて、いままで生きてきたんだな、と思うだけである。
なにか新しい家電などを買った時に、説明書を開きもせずに、誰かにその使い方を尋ねるひとたちと同じグルーピングに入る。


ところで、人類の方向音痴について、ちょっと調べてみて、驚愕の事実を知った。
オーストラリア原住民の言語のひとつ、グーグ・イミディル語には、「右左」などという相対位置を示す言葉より、「東西南北」という方位で示す言葉を使う場合が多い、という。
つまり、「パソコンの右においてあるメガネを取って」と言わずに、「パソコンの東にあるメガネを取って」というらしい。
彼らの意識のなかでは、常に、方位が意識されていて、それが始終失われないらしいのだ。

ほら、やっぱり、人類にはそういう能力が備わっていて、それができるひととできないひとがいるんだよ、って?


古代人や、長く狩猟を続けてきた民族は、渡り鳥みたいに、地磁気を感知する能力があるんだよ、って?

あるわけない。

賭けてもいいが、グーグ・イミディル語を話すひとを、円状の部屋に入れて、中央で何百回か回転させ、さあ、いまどっちを向いている?って聴いたら、絶対にわからない。
グーグ・イミディル語を話すひとたちだって、その空間での位置感覚は、日頃の注意力と訓練から達成できていることに違いないのだ。


だから、思うのだ。

こんど、「方向音痴なの~~」って困った顔をしてみせるひとがいたら、「オーストラリアに言って、グーグ・イミディル語を学んできたらいいよ。方向感覚が、抜群に磨かれるから」って言ってやる、と。

まあ、それが無理というなら、ふだんから、右、とか、左とか、言うかわりに、東西南北で話す訓練をすれば良いのだ。
「背中って、どこよ。どこが凝ってるの? ここ? それともこの辺?」
「いや、もうちょっと、右~じゃなかった、もうちょっと、西方向で~あっ、あと5センチぐらい東へお願い」
みたいに。

ま、もちろん、ホンキのホンキのホンキで、「方向音痴」に悩んでいるっていうひとが存在したら、っていう話だけど。


そして、また、溜息とともに、思ってしまうわけだ。

日本の政治家たちも、このグーグ・イミディル語を学んで、これからの日本が進む方向をしっかり指し示して欲しいものだと。

 

今日は、反論が、怖い・・・