友が冒険の航海に出たときに
何年も会わなくても、フェイスブックでつながっていなくても、僕を思ってくれるひとたちがいる。
いつも会っていても、Twitterで@を交わしていても、ほんとうは僕のことを批判的な目で見ている人もいる。
それが冒険なら、誰も100%の確信をもって、出発するわけではない。
正しい道なのか、間違えているのか、不安と戦いながら、踏み出した以上前に進むだけだ。
そんな時、あるひと達はちょっとした餞別を握らせて、激励してくれる。
なかには、それが無謀な冒険であり、はじめるべきではなかったとして、その理由を理屈だてて教えてくれるひともいる。
もうすでに、錨をあげて、港から出港したというのにである。
人生は冒険だ。
あるかどうかもわからない新大陸を目指して出港する冒険だ。
そして、その冒険を支えてくれるのは、新大陸があるかどうかを議論してみせるひとではなく、どうしても船を出さなければならなかったことを理解してくれるひとたちだ。
普段から密におつきあいをさせていただいているかどうかとは、関係がない。
何年も会っていなくても、大好きなひとに自分の思いを伝えるチャンスはきっとくる。
彼らが冒険に乗り出した時、彼らが自ら踏み出した道が正しいか間違っているか不安で揺らぎそうな時、たったひとこと、肯定して支えてあげればいいのだ。
多くのひとが、交友が途絶えていたと思っていた高校時代の同窓生や、古い会社の仲間が、そんな風にして僕の冒険を支えてくださっている。
僕はすばらしいひとたちとの交友に恵まれたと思う。
そして、しみじみと思った。
僕にだって、そうやって、「あなたのことを大切に思っている」という思いを伝えることができるはずだ。
一定の時間をともに過ごした古い仲間、いつも鮮やかに顔を思い浮かべることができるのにもう連絡も途絶えてしまったようなひとたちにも、その思いを伝えるチャンスがあるに違いない。
しかし、僕はそのチャンスをちゃんとつかんでいるだろうか。
たった一言の肯定と激励の言葉でそれができるのに、僕はそのチャンスを、いつもみすみす見逃してしまっているのではないだろうか、と。
photo by Lee Thatcher