たしかに、緑の妖精はいる!
柔道の松本選手が、「緑の妖精を見た」と語ったことが、話題になった。
たしかに、緑の妖精はいる。
でも、見えるひとと、見えないひとがいるのだ。
緑の妖精は、とおりすがりに時々やってきては、素敵なイタズラをしていく。
万人の胸をうつ詩の一節を思いつかせたり、アカデミー賞を受賞することになる映画のプロットを書かせたり、大ヒットになるメロディーを作曲家の頭のなかに奏でたり、どうしてもできないと思われていた技術の壁を越えるアイディアを 技術者に閃かせたり、アスリートをかつてないパーフォーマンスに導いたり。
2種類の成功者がいる。
自分の成功は、ひとよりはるかに多い努力をしたから当然と考えるものと、
自分の成功の大きな部分は、多くのひとや運、環境により授かったもの、と考えるものだ。
人並みはずれた努力なしに、おおきな成功はつかめない。
しかし、人並みはずれた努力だけで、成功がもたらされると考えるのは、とても傲慢だと思うのだ。
親から受け継いだ能力、子供のころの環境、恩師や友人たち、手強いライバルたちとの出会い、どれが欠けても、その成功はもたらされなかっただろう。
松本選手は、2010年の世界選手権日本代表になった際の記者会見で、他の代表選手が好きな言葉として「不屈」、「努力」などといった言葉をあげるなか、「空」という言葉を書いたそうだ。
きっと、松本選手にとって、「努力」や「不屈」は当たり前すぎて、思い浮かびもしなかったのだろう。
たしかに、緑の妖精は実在するのだ。
そして、松本選手のように人並みはずれた努力をしたものに、ふと訪れて、イタズラをするのだ。
だから、松本選手も言ったのだ。
「その妖精が見守ってくれているから世界選手権での2連覇も大丈夫だ」と。
たしかに、緑の妖精は実在する。
でも、人並みはずれた努力をしなければ、やってきてくれはしない。
しかし、緑の妖精は気まぐれだ。
どれだけ努力をしても、訪れてくれないこともある。
だからといって、緑の妖精を恨んでも仕方がない。
緑の妖精は、同じように死に物狂いで努力した、ほかの誰かのところに行ってしまったのだ。
そいつを選んだのは、緑の妖精の、気まぐれなのだ。
がんばろう。
でも、結果は、緑の妖精が決める。
それが世の中だ。
仕方があるまい。
ほんとうに、緑の妖精は存在するのだ。
(写真は エンジェル模様の男襦袢! エンジェルよおれのところに来てくれ!)
****面白いと思っていただけたら、ぜひGoogle Readerへの登録お願いします。がつん!とテンションあがります!