あなたの眠れる才能に気づかないまま死ぬな!
爪綴れ 名古屋帯
「人生の3分の2はいやらしいことを考えてきた」
みうらじゅん氏の週刊文春のエッセイ「人生エロエロ」の連載第2回の書き出しである。
最近、このブログに、少しでも良い文章が書けるようにと、ひとさまのエッセイやブログを意識して読んでいるのだが、さすがに、この一文には、ぶっ飛んだ。
ドキッとして、立ち止まり、
あ、おれも、そういえば、そうかもしれない
いや、3分の2ということはあるまい。
誓っていうが、全時間の3分の1を超えることはない、
などと思ってしまう。
それにしても、この書き出しは、なんだ!
読むものの心臓を、がっちり鷲づかみにする。
ずば抜けた才能というのは、こういうものが書けることをいうのだ。
みうらじゅん氏はもちろん知ってはいたが、いま、あらためて、wikiなどで調べると、松本人志からも「本当に信頼できる(お笑い)評論家」と評価されていることを知った。
ほどほどの才能でなく、ずば抜けた才能。
この世は上手くできたもので、ずば抜けた才能をもつものは、自然と表舞台に押し上げられるようになっているようだ。
天才的に歌のうまい子は、小さな頃からその歌声で周囲を驚かせ、やがてレコード会社の目にとまってデビューして、歌手になる。
Youtubeのあるいまの時代ならなおさらである。
ほどほどの才能が埋もれる、ということが頻繁にあっても、ずば抜けた才能が埋もれたままということは、ほとんどありえない、と思う。
それはなにも、音楽やアートなどにかぎったことではなく、サラリーマンの社会でも同じであるような気がする。
先日、かつての会社の人達と飲みに行って、色々な人の現況を聞いたのだが、僕と同期入社で、おそらく、僕と同じ頃に会社を飛び出してしまったある女性の話を聞いてびっくりしてしまった。
たしか、いまの旦那さんの海外転勤を機に、会社を辞めたのだけど、その後、帰国してから、ある一部上場企業に入った。
その会社は、もとの会社と同じ分野の会社だけれど、言わば、格上の超有名優良企業である。
なんと、彼女は、その会社で、取締役になっている、というのである。
それなりの歳になってからの中途入社で、すでに社会的に目立つことを成し遂げての転職というわけでもなく、一兵卒としての入社だったはずなのである。
僕は、あまり彼女の仕事ぶりを知らず驚いたが、「彼女は違った、充分ありえる」と皆がいう。
彼女は、組織人として、ずば抜けた才能を持っていたに違いなく、結局、どこにいても、その才能はしかるべきところに、押し出されたのである。
おいおい!
こんな泣き言を書いていてどうする!
たしかに、僕はいまのところ、何かの分野で、「ずば抜けた才能」の片鱗を見せたことはない。
しかし、まだ、試していない、未知の分野に、「ずば抜けた才能」が眠っているかもしれないではないか。
モーゼスおばあちゃんが、本格的に筆を握ったのは75歳の頃だった、というではないか。
そして、昨日の夜から、ずっと考えているのである。
まだ、その必要とされる才能を試したことがないものは、ないかと。
最後の候補に残ったのが、下記のリストである。
・心臓外科医(もしくは脳外科医)
・宇宙飛行士(もしくは戦闘機パイロット)
・ヘブライ語教師(もしくは犬訓練士)
・マラカス奏者(もしくは観光バスガイド)
・占い師(もしくはブライダルコーディネーター)
残念ながら、まだまだ絞り切れないでいる。
僕もまだまだ、捨てたもんじゃないのである。