誰だったか覚えていないのだが、音楽をやっている人からこんな話を聞いたたことがある。
ある有名なライブハウスのオーナーが、あるビッグアーティスト(名前を覚えているが伏せる)を無名時代から知っていた。
そのオーナーにその知人が、無名時代のビッグアーティストがどんな風でしたかと尋ねたら、やはり彼は無名時代から全然違ったという。
いったい、何が違ったのか、やはりずば抜けた才能が何かの形で初期の演奏にもほとばしりでていたのか、知人は興味をもってその先を訊ねた。
オーナーがしみじみと語る何が違っていたのかという理由は意外なことだった。
彼はとても礼儀正しかった、というのである。
たしか、うちのスタッフか、以前いたスタッフから聞いた話だ。
ただし、そのスタッフも又聞きで、単なる都市伝説かもしれない。しかし、その話はずっと胸にひっかかっていた。
話が本当だとすれば、そのビッグアーティストはそのライブハウスに出演させてもらうたびに、オーナーに礼をつくしスタッフにも感謝の気持ちを伝えていたのだろう。それがオーナーの心に響くほど、しっかりと。
オーナーとしては悪い気はしないだろうから、何かの時に彼をほかの関係者に推薦したりして、チャンスが広がったのかもしれない。彼の態度がそのオーナーだけに対するものでなかったとすれば、チャンスはどんどん広がっていただろう。
もちろん、そういう想像をすることはたやすい。
しかし、ことは音楽というジャンル、何よりも才能が勝負を決める世界のことである。
お話としては面白いけれど、どうだかなと思っていた。
たまたま、今朝、その話と呼応するような記事を読んだ。
そのフィールドは、アイスホッケーである。
What Else Have You Got? At some point, ‘good’ no longer matters.
(あなたはほかに何を持っていますか? 上手いことがすでに問題ではない世界で重要なこと)
そこに書かれているのはNHL(プロリーグ)の選手になった人、しかもその人はアイビーリーグの大学で心理学の学位をとった知的にも優れた人の話である。
彼はNHLの選手にまで登りつめたのだが、若いころ所属していたチームでも、大学のチームでも、自分はもっとも才能のあった選手ではなく、自分よりも才能にあふれた選手たちは多くいたというのである。
しかし、結局、そういった才能ある選手をさしおいて、彼はNHLにはいることになった。
彼を成功に導いたのは、彼がベストなホッケー選手であろうとしただけでなく、人間としてベストな人物になろうとしたことだと言う。
丁寧で、信頼でき、献身的で、人当たりがよく、迅速で、正確で、利己的でなく、つねにチームのためにできることを考える。
そして、一生懸命練習し、考えぬいて、がんばり、いいヤツであろうとし、すべてを自分の目標、プロのホッケー選手になることに捧げた。
彼にとって、ホッケーは、氷の上でいかにパーフォマンスできるかということに限られたものではなく、全人格を賭けた、リンクの外を含む人生そのものを良いものにしようという挑戦であった。
そして、じつはスカウトたちも、リンク上のパーフォマンスだけでなく、そういったことを見ているのだと言う。
彼のこの成功談は、先に紹介したビッグアーティストの話と見事に呼応している。
音楽であれ、ホッケーであれ、そのほかのさまざまな専門分野であれ、その道を志したものは辛い坂道を登り、やがて、周囲は皆それなりにできる人ばかりがいる地平に到達する。
そこから先に行くものは、よりずば抜けた才能をもつものである、あるいは幸運の女神に微笑まれたものだ、と僕らは考えがちだ。
そのときに、子供の頃、親や先生から口を酸っぱくして説教されたことを思い出す人は少ない。
つまり、立派に人間になれ、感謝を忘れるな、利己的な考えは捨てろ、敬意を払え、etc。
その種の話は聞き飽きており、そこに道を探す気にはなかなかなれない。
どうやら、どの世界でも、ある一定のレベルから上は、そういうことが人生の成否をわけるらしい。
しかし、僕は音楽をやったわけではないし、ホッケーはやったがプロを目指したわけでもないので、知らない世界のことをこれ以上述べるのはやめておこう。
ただし、会社という世界では、そうなっていることだけは、書いておこう。
会社の中で、それぞれのキャリアの到達点を決定づけるのは、たしかに、あるレベル以上は、戦略立案能力や実行力だけでなく、『全人格的』なものである。
そこで先に進んだのではなく、脱落した僕が言うのだから、ほぼ間違いはないと思う。
Photo by City of Vancouver Archives