着道楽魂に火を点けて
「・・・だから、おまえは面白くないんだよ」
と、先日、業界の知人に言われました。その前段は書きにくいんですが、その意味は、
「おまえは道楽知らずだから、人間として面白みがない」
ということのようでした。
「道楽」というのは、特別な響きをもった言葉です。
無縁でいると、面白みがないと言われ、過ぎると嫌われ軽蔑され、大王製紙のぼんぼんのようなスケールでやって何千何百の人々に迷惑をかけたら、もちろん犯罪ですが、あまりのことに、どこか畏怖のようなものさえ感じさせます。
僕も、彼の指摘を真摯に受け止め、その、いまだ知らぬ「道楽」の世界に踏み入るべく、まず、Wikiを開いて、道楽とはなんぞや、と勉強しました。
「道を解して自ら楽しむ」という意味 (Wiki より)
なるほど、それなら、僕にもできそうです。
「カラオケ道楽」とか・・・
でも、いくらカラオケに行っても、仮にうまく歌えても、なんだか、「道楽」という言葉のかっこ良さとは、無縁です。
なんだか違うんですよね。
再びWikiに戻って先を読むと、
近畿地方では「京都の着道楽」、「大阪の食道楽」、「神戸の履き道楽」などと言われている。 (Wikiより)
江戸の道楽には「三大道楽」と呼ばれるものがあったといい、園芸道楽、釣り道楽、文芸道楽が挙げられる (Wikiより)
ふむふむ。
エイベックスの松浦社長もとことん釣りにはまっておられるようで、どこかで、趣味なんてレベルではない、あいた時間はすべてをつぎ込んで魚に対している!と書いておられました。
これぞ、伝統的な江戸三大道楽のひとつ「釣り道楽」にどっぷり、の良い見本ですね。
松浦さんの言には、最高の魚をやっつけるためなら、何億の稼ぎを捨てても、やってやる!っていう気迫を感じ、これぞ、男の道楽の見本のようです。
なるほど、釣りでもいいんですね。
僕も昔は、ルアー、フライ、渓流に凝って、休みは必ず行っていましたが、すでに、魚に対する愛情は枯れかけています。
で、気になる言葉は、「着道楽」です。
「大阪の食い道楽」は知っていましたが、「京の着道楽」「神戸の履き道楽」という言葉は知りませんでした。
「京の着道楽」って、なんて素敵な言葉でしょう。
最高、最新のファッションを身にまとい、衆目の中を注目を浴びることは、きっと、誰にとっても最高の快楽に違いありません。
でも、いつの時代も、最高の染織品、着物は高価なものです。
「着道楽」を楽しむ心意気がなければ、最高級品に、自分の人生をかけるほどの、ぎりぎりのお金を出すことはできません。
「京の着道楽」の心意気こそが、世界に冠たる日本の染織美術、着物を継承させてきた、原動力なのではないでしょうか。
もてる私財のぎりぎりを投じて、最高のものを身にまとう。
たかだか、数回、自分を最高に着飾るために、刹那の恍惚を味わうために、汗水垂らした得た大事なお金を、どかんと費やす。
そんな、粋な道楽がほかにあるでしょうか。
さあ、着道楽 でいきましょう!
人生を賭けて楽しみましょう!
どうせ病に倒れ、死んで、灰になって、さよならです!
心の欲するままに、人生を楽しみましょう!
と、長い長い前フリのあと、買って欲しいのが、こちらです!
文字通り、日本染織美術の最高峰の振袖です
高いです。
死ぬ気で買ってください。
でも、あなたの着道楽魂、もう着火しているでしょう?
え?僕の道楽ですか?
車にしようかな・・ポルシェが欲しいな。
でも、誰かがこの着物買ってくれないと、僕の道楽は始まりません。
お願いですから、買ってください。