京都の国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産登録を目指そうと、京都市の業界団体が動き始めたそうだ。
京の和装を無形文化遺産へ 登録目指し始動
僕は以前の記事で、そのことについてあまり積極的に賛成ではないと書いた。僕のような業界の末端にいるものが何を言っても始まらないが、やっぱり、ちょっと言いたいことがある。
もし、着物が和食について「無形文化遺産」に登録されたら、もちろん、それは素晴らしいことでもあると思う。(あまり知られていないが、本場結城紬、小千谷縮、越後上布がすでに登録されている)
すでに書いたように、着物には「伝統として残すべきもの」と、「ファッションとして変わっていくもの」がある。
無形文化財に登録されたら、国民の目は「和食」が登録された時のように着物に、一時的に集まるだろう。ちょうど2020年の東京オリンピックもあり、「着物」の素晴らしさを国内外に向けて発信するには、絶好のチャンスである。
これほどのチャンスは、今世紀にはもうないかもしれない。発信を強化するためには、さまざまな要素をこれでもかというぐらい重ね合わせることが重要で、僕もこのチャンスを逃すべきではないと思う。
「残す」ということでいえば、僕達がやろうとしているKimono Archive(バーチャル着物ミュージアム)も同じ目的であると言えるし、「着物、日本の染織品を集めた国立の博物館があるべき、それを日本を訪れる外国のひとたちにいつでも見てもらえるようにすべき」という僕や古裂業界のひとたちの究極の願いも、同じ線上にある。
そういう意味では、「無形文化遺産」への登録を目指す運動には賛成である。
しかし、一方、「ファッションとして変わっていくべきもの」、そして、真の意味で着物が生き残っていくことについて、「無形文化遺産」の認定が役に立つかどうかについては、懐疑的にならざるを得ない。
そもそも、呉服の市場規模はピーク(1981年)の1兆8000億円から3000億円強へと縮小しており、いっぽうユニクロの国内売上は6000億円を超えている。(ユニクロの1号店は1984年改装オープン)
ご存じでないかたのために簡単に説明すると、第二次世界大戦までは普段着でかつ晴れ着だった着物は、戦後、洋装に置き換えられたが、振袖や訪問着などの高価な晴れ着を売ることでピークを迎えた。その後の不況、強引な販売を嫌気されたりして、どんどん市場が縮小し現在に至っている。
現在は一部のマニア、着物が職業上必要なひとがそのマーケットを支えてくださっている構造である。
さて、着物はファッションであったはずだ。ファッションには、常に新しいトレンドが生まれ、どんどん変わっていく。とくに、若いひとたちが、それまでの既成概念をぶち壊すようなスタイルでの着こなしを始め、それが一般にも広がっていく。
着物をファッションととらえている伊豆蔵さんのような若いチャレンジャーは、着物の既成概念とは自由な位置にいて、「新しくてカッコよくて着やすい服」を追求されており、「その視野に着物も入っている」という感じだ。
おおむね、ファッションの新しい試みに対して、若く、先進的なひとたちは称賛するが、僕のような年配のものは理解できない、もしくは、「それは着物ではない!」と言って受け入れない。
実は、今では一般的になった「名古屋帯」という形式も、大正時代に考案されたものだ。市販にいたる経緯を書かれたページには、「春子はこの帯のことを生徒や知人に話しましたが、彼女の合理的精神がすぐに受け入れられる時代ではありませんでした」と書かれており、当初は「そんなものは帯ではない」などという声があっただろうことは容易に想像できる。
僕が危惧するのは、現在も、「現在、伝統的で正当と思われている」着物の着方、ルールを唯一正しいものとして維持しようという声が、新しい着方を受け入れようという声を大きく凌駕して、新しい試みの芽をつむという方向に世間の大勢は向いているのではないか、ということだ。
伝統的な着方、正統といわれる着物の美しさを否定したいものではない。それももちろん「伝統として残すべき」ものだと思う。
ただし、「ファッションとして変わっていくべきもの」であるという認識を、しっかりと持っておかないと、「着物はファッションであることをやめてしまう」のである。ファッションであることをやめれば、着物の市場は緩やかに死んでしまうのではないだろうか。
ファッションとしての着物、着物のマーケットが死んでしまったら、「遺産」として残す意味は大いにあるということになるが、ほんとうに、それが我々みんなが望んでいることだろうか。
僕のようなものには、新しいファッションとして着物を売っていく能力はない。それは伊豆蔵さんのようなかた、ほかにも様々なひとがトライアルをしているので、そのひとたちに譲りたいが、せめて、僕はそういうひとたちのトライアルを潰さないように、応援していきたいと思っている。
もし「無形文化遺産」に登録されて一時的に盛り上がったとしても、「新しいファッションとしての着物」を受け入れない方向に世間の認識が流れてしまえば、元も子もないように感じるのだ。
だから、結論としては、賛成でもあり、反対でもある。
「ファッションとして変わっていくべきもの」であるということの認識を強めつつ、国内外に広く強く「伝統として残すべき貴重なもの」という発信をしていく。それができるのであれば、おおいにその機運を盛り上げていって欲しいものだと思う。
(グラフのデーター出所 http://www.yano.co.jp/press/press.php/001061 http://www.fastretailing.com/jp/ir/news/1310101830.html )
*呉服業界プロデューサー・石崎功氏の意見も大いに参考にさせていただきました。
*妻の質問に考えさせられたこと
*自由を制約すると基本も崩れる