パソコンを閉じて、友と飲みに行こう
土曜日の夜、ある先輩に誘われて誘っていただき、久しぶりに飲みに行った。
何年ぶりだろう、3軒の店をはしごした。
その前にいつ3軒目まで行った思い出そうとしても思い出せないので、おそらく数年ぶりか、十年ぶりぐらいかもしれない。
楽しかった。
いろいろな話を聞かせていただき、またいっしょに行った仲間からもさまざまな話を聞くことできてとても興味深かった。
それぞれの人がどんなことを普段考えているのか、想像していたこととは違うこと、ああやっぱりそうだったのかと思うようなこと、そういったことをたくさん聞くことができて、いまさらながそれぞれの人の視点と方向性が人間関係の中でプロットできておもしろかった。
そして、それまでに自分が見ていた地上の世界が、じつは地下では自分が想像してい仕方とは違う評価や構造で支えられいたとに気がついた。
大げさに言うと、見えている世界は同じでも、そのことを生んでいる背景は想像してたのとは違うことに気づかされ、ちょっと世界が変わった感じである。
僕が味わった感覚はすこし複雑だけど、あえてシンプルにその核を説明するとこんな感じである。
人は自分が想像しているより、ずっと熱心にほかの人のことを観察している。そして、現実に見ている世界の下に、信頼できると思った人間同士が繋がった網のようなものがあって、その見えない網が世界を支えている、そんな感覚である。
ものを書く人間になりたいと長い間思っていたし、最近3年間もブログの毎日の更新を最大に優先させていたこともあって、僕はたいてい「一緒に飲みに行って話を聞く」ことの大切さを後回しにしてきた。
しかし、やっぱりそれもバランスで、「本(や書かれたもの)を読む」ことは、いかにそれが凄いことを成し遂げた人たちのものであっても、「一緒に飲みに行って話を聞く」ことの利点をすべて置き換えうるわけではない。
自分を取り巻いている現実の世界に対する深い知見は、いくら本を読んでも得られないものがあるなと、あらためて認識した。
幸い、ブログでしか達成できないと思っていたことは、なんとか達成した。
僕を縛っていた毎日更新の鎖からも、ようやく自分を開放した。
さあ、パソコンを閉じて、街に出よう。
友を誘って、飲みに行こう。
誰かに誘っていただいたら、ホイホイついていこう。
いま、そんな気分だ。
photo by Jim Pennucci