ICHIROYAのブログ

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悲しい夏休み

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 夏休みだ。
 たくさんの子供達が親に連れられて里帰りしたり、海水浴に行ったり、海外旅行に連れて行ってもらったりするのだろう。
 僕の子供の頃の夏休みの旅行の記憶は悲しいものばかりだ。

 僕は中学校高学年まで泳げなかった。
 水泳の授業はなんだかんだと言ってサボった。夏が来るのがとにかく苦痛だった。
 両親の出身は福知山で、小学校の頃は、夏休みに山陰の海水浴場に連れて行ってくれることが多かった。
 泳げない僕は、今年こそ!と意気込んで海に行く。
 海は塩分があって浮きやすく、きっと泳げるようになれるから、と言われて。
 しかし、顔を水につける度にパニックになる僕は、いつまで経っても泳げなかった。
 ずっと、浮き輪の世話になり、劣等感を抱きながら波に揺られていた。

 この子はまだ泳げないのか。
 そんな父の視線が、苦虫を噛み潰したような表情が怖かった。

 夜になると、カブトムシやクワガタを捕まえてやると父は言った。
 夕方、スイカだか蜂蜜だかをクヌギの樹に塗りにいって、夜、父とわくわくしてその樹を見に行った。マムシが出るから注意するようにと父は言って、懐中電灯を持ってあぜ道を進んだ。
 たった1匹のカブトムシもクワガタも、父が塗った蜂蜜には来ていなかった。
 
 ある年、着いた翌日に熱を出した。
 父と母は相談して、翌日、家に帰ることに決めた。
 しかし、JRの列車はすでに行ってしまったあとらしく、その時刻に、大阪の家に簡単に帰る方法はなかった。
 父と母が深刻そうに帰る方法を話し合っていた。
 僕の記憶は曖昧だが、山陰のある町から大阪の豊中の家へ帰る道中は、小さな僕にとっては冒険のような旅であった。
 記憶では、ふだんでは考えられない長距離、締まり屋の父にとって、おそらく生涯で最長の距離を、タクシーに乗った。
 タクシーはある駅からの最終の時刻に間に合ったらしく、電車に乗り換えて、長い時間各駅停車の電車に揺られた。
 窓に映る自分の顔や父母の姿の向こうに、真っ暗な中にポツポツと灯った光が飛びすぎていくところを、とても不安な気持ちで眺めていたことを覚えている。
 後で記憶をたどって考えると、その電車は阪急京都線だったはずと思うのだが、詳しいことはわからない。

 さて、ともかく、僕にとって悲しいことばかりの夏休みの旅行だったが、その年の夏の不運な旅行は、父と母にも相当面倒な思い出となったようだ。
 次の年から、海水浴に山陰の町に行くことはなくなった。
 僕の悲しい夏休みの海水浴の思い出は、そこで途切れている。

 世の中は悲しいことばかりだ。
 いたいけな少年の心も悲しみで満ちている。
 もし、世の中のすべての人の悲しみが全部黒い雲になったとしたら、空は夜のように真っ暗になるだろう。
 僕らはみんな、そんなことは知ってる。
 ほんとうは見えているのだけど、見えないふりをしているだけだ。

 だが、悲しい夏休みも、何十年も経てば、かけがえのない思い出になる。
 悲しくても、人それぞれの、光を放つ宝石となる。

 さあ、僕も明日から、夏休みだ。 
 みなさんも、よい夏休みを!

 

photo by simpleinsomnia