「きものの日」とカリフォルニアロール
カリフォルニアロールは好きだろうか?
カリフォルニア・ロールは、カニ風味かまぼこ(もしくは茹でたカニの脚身)、アボカド、マヨネーズ、白ゴマなどを、手巻き、または裏巻き(外側から酢飯、海苔、具の順になるように巻く)にしたものを言う
(wikiより)
僕はあんまりだめだ。アボカドがあまり好きじゃないこともあるが、ほかに美味しい寿司ネタがあるのに、なぜそんな変なものを食べなきゃならないのかという気がすることも白状しなければならない。
子供のころ、アメリカの寿司屋さんでは、そのカリフォルニアロールというのが流行っているらしいと聞いた。大人たちは、そんなものは寿司じゃねえ、みたいな反応が多かったように思う。
そのころ、それは面白いね、美味しいかも、食べてみたいなという反応は聞いた覚えがない。
そのカリフォルニアロールだが、アメリカ人が寿司を食べるということが一般的だった時代に、なんとか彼らに寿司を食べてもらう方法はないかと考案されたものだという。
当時のアメリカ人にとって、生の魚や海藻(海苔も)を食べることは常識の外にあったため、1960年代、70年代にアメリカにオープンした寿司屋さんは、そもそも一口でも食べてもらうために、そうとうな苦労をされたようだ。
しかし、カリフォルニアロールはアメリカ人の口に合い、それを入門編として寿司を食べる人が徐々に増え、現在のように、寿司が最高の料理のひとつと認識されるようになった。
さて、話は変わる。
経産省はきものの日の導入を決めたようだ。
業界の端で中古の着物を扱う身分なので大きなことは言えないが、ありがたいことだと思っている。
「着物をもう一度、日常着にするのが最終的な目標だ」と経産省の幹部が語ったということに対し、「日常着をどうするかは、オレサマの自由だ!」という向きもあるだろう。だが、基本的に、日本の未来は、どれほどの外国人観光客を国内によべるかということにかかっており、そのためには日本の文化をいかに残すか、独自性をいかに強めてアピールしていくかということが重要になるだろう。そう考えると、普通に着物を着ている人が町を歩いている光景を望むことは、未来の日本の豊かさにもつながるように思える。
そのためには、若い人が、お仕着せでなく、楽しんで着物を着るような状況にすること、それが一番大切なことに思える。
若い人にとって、着物ってなんだろう。
夏の花火大会に着ていく浴衣と、成人式と卒業式に一瞬堅苦しく身体を縛るもの。自分で着れなくて、動きにくくて、面倒くさくて、ルールがうるさくて、下手をするとうるさ型のおばさんから着方について文句を言われるもの。ほとんど着ることはないのに、とても高いもの。
ひょっとしたら、1970年代のアメリカ人にとっての寿司店と、今の日本の若い人にとっての着物には、似たところがあるんじゃないか。
カリフォルニアロールの話を読んでいて、ふと、そんなことを思った。
当時のアメリカ人にいくら寿司の美味しさを言っても、本筋の寿司ではまったく伝わらなかった。が、カリフォルニアロールという、「ホンモノ」の寿司から見ればとんでもない料理が、アメリカ人にホンモノの寿司への門を開いたのである。カリフォルニアロールでSushi(寿司)という料理の食べ方を知ったアメリカ人は、やがて本流の寿司の美味しさにその味覚を開いていったのである。
着物をもっと身近なもの手軽なものにしようというトライは、何十年も前から継続的におこなわれてきた。昔の業界紙を読んでいて、そんな話が出てきて驚いたこともある。
だが、なかなか受け入れられなかった。
それぞれのトライアルにはそれぞれの理由があっただろうが、ひとつの理由は、おなじみのあれ、「カリフォルニアロールなんて寿司じゃない」である。
きものの日の導入にあたって、業界の片隅から祈っている。
着物のカリフォルニアロールが出てきたらいいな。
もし出てきたら、「カリフォルニアロールなんて寿司じゃない」と似た言葉が出てきそうになっても、みんな、ちょっと我慢してくれたらいいな。
そして、その「カリフォルニアロール」が、日本の未来を豊かにする道へのゲートを開いてくれたらいいな、と。
photo by Samson Loo