夢なら頼む、最後まで覚めないで!
1983年ごろの、大学1年生のころの僕の憧れは、Kという同級生であった。
彼はサタデーナイト・フィーバーのジョン・トラボルタそっくりの風貌をして、ちょっと縦長の顔に髪型もリーゼントであった。
そこは、農学部とはいえ、日本国の最高学府のひとつと称される京都大学であったから、そこに紛れ込んでいたトラボルタKは、まったく異質で光り輝いていた。
僕のようになんとか勉強頑張ってココまで来ましたというものか、スポーツも勉強もバリバリできるバンカラ硬派です、というのか、学友たちはおおむねどちらかであったが、彼は正真正銘、筋金入りの軟派であった。
名古屋弁を話し、さっそく車を買い、もちろん、勉強にもスポーツにも興味はなく、情熱を燃やす先は、あくまで女性であった。
意味はよくわからないが、とにかく名古屋弁の「ええがや~~」という言葉を女性に連発して、僕らにはまったく知らない世界へ、いつも頻繁に出入りしているらしかった。
「車ぶっ壊しちまった。だって、カーブ曲がれると思ったもんでさ~でも、やっぱり、100kmじゃ曲がれんかったわ~」と笑いながら、どうやら不死身でもあるらしいトラボルタKは、さっそく買った車をおしゃかにしてもピンピンしていた。
彼の享受している人生に、僕はこれ以上ないほど焦がれた。
もちろん、トラボルタKのように、僕も何度かディスコへ行った。
大学生の僕は今と同様、イケていなかった。
しかし、高校時代の彼女にふられたことひきずって失意の底にいたから、何十分の一でよいから、トラボルタKのようになれたらと切望していた。
たいていは、僕と同様イケてない男友達の誰かと、祇園あたりのディスコへ行く。
行くまでは、もちろん、こんばんは絶対に声をかけて仲良くなるぞ(ほんとうはもうちょっと直接的な台詞)と言い合って、お互い高揚してでかけていくのだ。
しかし、買ったばかりの服を着て行っても、やはりイケてないものはイケてない匂いがするらしい。
死ぬほど勇気を振り絞って誰かに声をかけてみても、完全に無視されるか、きつい視線を返されて終わりになるのだった。
そして、仕方なく、イケてない自分たちのイケてない踊りを鏡に写して見て、夜の盛り上がりとともに、気分は底なし沼へと沈んでいくのだった。
それが、僕の輝かしい80年代ディスコ体験である。
僕らの青春はビージーズとともに、ディスコにあったとか思って、ちゃんと思い出してみたら、実際のところは、イケてるディスコでイケてない自分が際立ったという、とてもイケてない体験であったことを、いまさらながら思い出した。
おかげさまで、本がなんとか売れているそうである。
宣伝や献本先などで、みんなが助けてくれるのが嬉しくて、増刷が決まったら「懐かしの80年代ディスコパーティーだ!」と書いた。
そしたら、増刷が決まったのである!
みんなが宣伝してくれたおかげだし、そもそも、みんながネタを提供してくれたのである。入ってくる印税は、みんなで大騒ぎして飲んでしまって、何の悪いことがあろう。
そして、そんなことがやれる場所が大阪にあるのかと、ほとんど諦めながら探してみたら、あったのだ。
昔、京都の祇園にも、大阪のマルビルにもあった「マハラジャ」が、去年、大人の社交場として大阪梅田にオープンしてたのだ。
さっそく行ってみたら、まさに、昔懐かしいディスコそのものである。
しかも、借り切ることもできる。
よし、ここでやろう!
僕の知人友人の多くは、それなりの歳だ。
きっと、イケてるディスコ体験をした人もいるだろうし、僕のようなイケてない体験で終わった人もいるだろう。
だけど、どっちにしても、それは僕らの世代の青春の一幕であったことは間違いない。
しかも、今回は貸し切りだ。
イケてなくったって、もう、みんなそれなりの歳になって踊りもヘタだって、誰にも遠慮する必要はない。
懐かしい80年代の音楽や映像とともに、踊りまくるのだ!
イケてない僕があのマハラジャを借り切る日が来た。
きっと、これは夢だ。
夢なら頼む、最後まで覚めないでくれ!
PS ということになりました。応援してくださった、友人知人のみなさん、詳細はもう少し待ってください。4月の下旬の予定です。