ICHIROYAのブログ

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生まれついてのリーダーでない僕が、管理職冥利を感じるようになるまで

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                                                                                                       photo by Jay Mantri 

 

 百貨店にいた時、「売場のマネージャーが最高の花形ポジションである」と先輩に教えられた。
 が、若いころの僕には、それは一種のやせ我慢とオヤジ的な美学が言わせる願望であって、嘘い違いないと思っていた。
 実際、後方部門には、「売場は嫌いだ。広報とか企画のほうが好きだ」と公言する人もいて、どちらかと言えば、僕はその話が本音だろうなと思っていた。
 
 世の中には、リーダーとして生まれついた人がいる。
 そういう人たちは、子供のころから周囲からリーダーと目されていて、自然と、遊びのリーダーシップをとったり、クラブの主将を任されたりする。
 彼らは、社会人になって、はじめてリーダーに任命されても、さほど戸惑うことなく、その職務をはたしていくだろう。

 しかし、僕のように、リーダーとして生まれついていないものは、どうなのか。
 僕にリーダーは務まるのか、売場のマネージャーが務まるのか。
 一販売員として実際に売場を経験してみて、それができるのかどうか、僕には大いに不安だった。
 売場には、さまざまな人がいた。高校を卒業してすぐに入ってきた元気な女性、50才を過ぎた定時社員の女性、大卒で理想に燃えた歳の近い正社員の女性、メーカーから派遣されてきている口達者な中年女性・・・
 サークルリーダーとして彼女たちに接してみて、働く動機も、考え方も、なにもかも違うさまざまな人を、ひとつの目標にまとめあげる難しさを痛感した。  


 あの時に僕が感じた不安をもっている若い会社員のかたが、いまもたくさんいるのではないかと思う。
 そして、あの時の僕のように、リーダーとなることを恐れ、できれば専門職的な仕事でキャリアを積んでいきたいと思っている人が。
 
 リーダーシップというのは、技術であると言われる。
 僕は身をもってそれを体験した。
 
 32か33才の頃、後方部門の専門職の係長だった僕は、売場のマネージャーに異動させていただいた。
 好きも嫌いも、できそうか、できそうでないか、などと言っている余地はなく、2,3日後には、新任のマネージャーとして売場に放り込まれた。
 それは明らかに人事部と僕をマネージャーとして受け入れてくださった営業部長の好意であった。
 後方部門ばかりを歩くのではなく、売場でのキャリアを積まなければ、将来頭打ちになると人事部が配慮してくださり、営業部長はおそらく大いに不安に思いながらも、僕を受け入れてくださったのである。

 そして、結果は、無残だった。

 もともと、さまざまな問題を内在していた売場は、前任のマネージャーの手腕でなんとか維持されていた。そこへ、マネージメント能力ゼロの僕である。
 売場はいろいろな意味で大混乱に陥った。
 その混乱ぶりをここに書くわけにもいかないが、たとえば、こんな象徴的な一幕があった。
 僕はあるビジネス本にいたく感動して、朝会の場でみんなに紹介した。内容は、小売ビジネスというのは逆さまのピラミッドで、販売行為が行われる現場、つまり売場の人たちがもっとも価値を生んでいる。上司や経営層はそれをどの程度組み上げることができるかである、とういような話だった。
 僕はその話を力説した。
 空気はあいかわらずで、白けた空気が流れていたが、いつものことなので、僕はそのまま話を続けた。
 その時、僕を受け入れてくださった営業部長が、通りかかって輪の外から話を聞いておられたことに、気づいてはいた。
 朝会後、部長とたまたま顔を合わせた時、部長がため息まじりにこう言われた。
 「君の朝会・・・しらけきっていたな」

 僕はマネージャーとしてやっていけるのか、マネージャーとしては不適の烙印をおされるのか、まさに瀬戸際にいた。
 マネージャーとしては不適の烙印を押されてしまえば、会社での将来の選択肢はかなり狭まってしまう。
 毎日毎日、朝起きるのが辛く、会社へ行くのはさらに辛く、もう辞めてしまおうか、辞めてどうしようかと真剣に考えていた。

 ある時、10才も歳下のスタッフに、話があると言われ、電灯を落とした暗い閉店後の売場で話をすることになった。
 彼女から売場の混乱ぶりをあらためて聞かされ、いかに売場がギリギリの状態か、しっかりして欲しいというような話をされた。
 
 僕は自分の不甲斐なさに泣いた。
 10才歳下の女性の前で、文字通り涙を流した。
 情けなかった。
 わざわざそんな話をしてくれる彼女に申し訳なかった。
 売場のみんなに申し訳なく思った。
 30年強の人生で、それほど情けなかったのは、生まれてはじめてのことだった。
 人前で泣いたことも、小学校卒業以来、はじめてのことであった。

 その時が、ターニングポイントだった。
 それまでの僕は、後方部門から、スタッフみんなの上に舞い降りてきて、あれこれと指示をしようとするマネージャーだった。
 しかし、現実の自分は、メンバーの上にいるのではなく、メンバーより下にぶら下がってみんなに迷惑をかけている。
 それほどの醜態をさらして、やっと僕はそういう現状を受け入れた。
 そして、そこから、生きるために、お金を稼ぐために、精神的に折れてしまわないために、ひとつひとつ頑張ることにした。

 僕は徐々にマネージメントの技術を覚えはじめた。
 メンバーすべてを平等に受け入れること。
 メンバーそれぞれの働く動機を見極めること。
 メンバーの気分や健康状態をケアすること。
 メンバーが困っていることを、解決することを最優先すること。
 そういうことを、ひとつひとつやり始めた。

 そして、1年、2年と経った頃、僕はようやく「売場のマネージャーが最高の花形ポジションである」という先輩の言葉が、真実だったなと思えるようになったのである。

 マネージメントは習得可能な技能である、とたしかに僕は思う。
 さらに言うと、さまざまな業態、規模、その組織の状態で、最適なマネージメントスタイルは変わっていく。
 たとえば、10人規模の店舗のマネージメントでも、百貨店の一部としてやる場合と、自営業でやる場合は、かなり異なる。
 そのことも、40歳を過ぎて独立してから、痛い目をして学んだ。

 もちろん、非常に知的な人でありながら、「売場は地獄だった」という人もいて、すべての人がリーダーや管理職に向くかどうかは、わからない。
 リーダーや管理職になることだけが、幸せのカタチではないことも、理解している。

 ただし、かつての僕のように不安を抱えている人も、「管理職には向いていないに違いない」と自分で決めつけることはやめたほうが良いと思う。
 自分がマネージメントに不向きかもしれないと思っていても、とりあえず、やってみればいいと思うのだ。
 僕のように、1年ぐらいは大変なことになるかもしれないが、その後は、なんとかリーダーを勤めている自分に気がつくだろう。
 そして、管理職冥利に尽きるというような体験をすることになるだろう。 

 僕のこの体験が、多少なりとも、マネージメントに不安をもっている人の参考になればいいのだが・・・