上司をだせ!って言われたら
百貨店の売場マネージャーだったころ、『苦情』対応が、ひとつの主たる業務であった。
そもそも、『苦情』という言い方は変であるということは、当時からわかっていた。
たいてい、『苦情』の原因は、売場のミスや気配りの不足を原因としている。
『苦情』というより、『お問い合わせ』とか『ご意見』とか言うべきだけど、適当な言葉がなく、『苦情』と言っていたので、そのまま『苦情』と書く。
苦情の対応というのは、全人格をかけた勝負である。
そもそもの非はこちらにあるのだから、必死で謝罪する。
しかし、その謝罪が相手の心に届くとは限らない。
マネージャーになりたてのころ、苦情の対応に謝罪に行くたび、
上司をだせ!
と言われた。
そのたびに、売場のミスは上司の知るところとなり、しかも、その後処理さえできない自分を見せることになる。
上司をだせ、と言われたら、完敗である。
お客様は、簡単に、僕のマネージャーとしての力量、人格を見ぬいてしまわれるのだ。
それでも、そんな僕をマネージャーとして我慢して使っていただき、ときに厳しく、ときに優しく指導してくださった当時の上司の方々には、どれだけ感謝してもしきれない思いをもっている。
先日、当時の上司のAさんとBさんと、ひさしぶりに宴席でいっしょになった。
昔話に花が咲いたのだが、ご迷惑をおかけしたことばかり思い出し、ついにたまらず、僕は立ち上がって、お二人の前に深々と頭を下げ、改めて、ご迷惑をおかけしたことをお詫びした。
おふたりは、それは、お互い様だ、と慰めてくれた。
おふたりも、自分たちもそうやって上司に迷惑をかけてきた。何度も、上司を出せ!と言われてきたのだ、とおっしゃる。
すこし慰められたが、もちろん、おふたりの『上司をだせ!』が、僕ほど頻繁であったはずがない。
その時に聞いたAさんの話に驚いた。
ある苦情で、Aさんが何度通っても許してもらえず、ついに、Cさんという上司に、同行をお願いしたそうだ。
Aさんもそうだが、Cさんも、押し出しの良い親分肌の男性である。
Cさんは、そのお客様の前で、両手をついて土下座をし、両目から大量の涙を流して、お詫びした、というのである。
びっくりした。
泣いているところなど、とても想像できない方なのだ。
お客様も、驚き、ついに、この一件は、落着となった。
Aさんより、年下のCさんは、帰りに、「Aさん、驚かれたかもしれませんけど、気にせんといてください。僕は、自由自在に涙が流せるんです」とおっしゃったそうだ。
たぶん、役者でもないCさんの「自由自在に涙が流せる」は、ある種、照れ隠しの嘘であろう。
Cさんの涙は、全身全霊、全人格をかけてお詫びをすることで、自然と流れでたものだと思う。
世の中には、たしかに、凄い器をもったひとがいる。
そして、当然、それぞれのお詫びは、器の大きさに従った深さしか、持ち得ないのだった。
(写真は 鍾馗さまの羽裏 え~~ん、許してください~)