「ベンチダイアリー」プロジェクトが面白い!(1987年インドプーリーにて)
いまでは名前もはっきりとは覚えていない。たしか、下に「吉(よし)」がついた名前だった。とりあえず、「マルヨシ」くんとする。
「マルヨシ」くんは、小柄だけど、元気のいいやつで、何者かになろうとあがいていた。ほかの多くの若者と同じように。
僕は大学5年目。そのパブレストランのほかのメインスタッフもほとんどは大学4年。みんな青い夢は捨てて、社会というまだ見ぬ冷たそうなプールへ飛び込もうとしていた。
半年ぐらい一緒に働いただろうか。
彼は世界を見に行くと言って、アルバイトを辞めて、僕らのいる界隈から去って行った。
そして、僕も、バイト仲間も、就職した。
数年して、冷たい水にやっと慣れはじめたころ、会社が「制度上は」ぎりぎり許される14日間の長期休暇をとった。
生まれてはじめての海外旅行だった。
行き先はインド、カルカッタ。
小田実が「世界をみてやろう」で「理解不能である」というようなことを書いて(文言は忘れたがたぶんそんなこと)匙を投げたインドを自分の目で見てきてやるのだ。それで僕の人生観が変わるかどうかたしかめてやる。
空港に嫁が生まれたばかりの娘を抱いて見送りにきた。
30年前のカルカッタは、僕を打ちのめした。
その匂い、絶対に僕を受け入れてくれない異世界、向こうの世界から突っ込まれる手はすべて僕のもっているものをすべてむしり取ろうとする。
ホテルの部屋から出られなくなった。
自分を叱咤して、なんとかカルカッタを脱出した。
行った先は、海辺の町、プーリー。
安ホテルの部屋は海岸に建ち、カラフルに塗られた木製ドアを開け放つと砂浜の向こうにインド洋が広がっている。
早朝に歩けば、村人たちが集まって歌を歌っている。
一緒に座れと言われて石畳のうえに腰を下ろすと、煙草のようなものが回ってくる。吸えというので思い切り吸い込んだらぼんやりしてくる。
隣のおっちゃんが笑ってる。そして、歌が頭のなかでビンビン響いてきて、なんだろうなんだろうと思ううちに、僕が溶けていく・・・
プーリーで、僕はやっと、息をついた。インドという異世界に入ったと思った。
自分のホテルから少し離れたところにあるカフェにコーヒーを飲みに行った。
そこはバックパッカーに有名な店だったらしい。
ノートが置いてあって、世界中からやってきたバックパッカーがメッセージを残していた。
日本語のものもある。
そして、そこにあったのだ。
マルヨシくんのメッセージが。
彼がいなくなってすでに数年。たしかに彼はバックパッカーとして世界放浪を続けていたのだ。
何かを見つけたのか、これからどうするつもりなのか、そこには書かれていなかった。だけど、彼は元気に旅行を続けており、何かを探し続けているようだった。
僕は読まれるあてのない返信を書いた。
なんと書いたのか、覚えていない。
だけど、覚えている。
何かを探しているマルヨシくんを激励しながら、僕自身は、この旅行で、夢見ていたなにものかへの道の扉を締めて封印することになるのだなと思ったのだ。
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長すぎる導入部はやっとオワリ。
なぜ、そんな話を書いたかというと、ベンチダイアリーという素敵なプロジェクトをみつけたからだ。
彼女たちは町のあちこちのベンチにノートとペンをくくりつけて放置する。
そして、そこに書かれた内容をネットで共有する。
ホテルのノートと同じように、そこに書かれた文章やイラストは、たくさんの人に読まれたいと意図して書かれたものではない。
せいぜい、ひとりかふたりの人に読んでもらえればという思いで、自分の感情を吐露しているのだ。
それはネットに溢れるよそ行きの言葉ではなく、もっと、生々しい飾らない言葉だ。
しかも、ブログを書いたりしない、子供たちや、高齢者たちも、そこに思いのままを書いてくれるのだ。
あまり有名になってしまうと、ネットでの公開を念頭に書くひとも出てくるだろうが、いまのところ、いくつかのノートがとられてしまうことはあっても、興味深い内容のメッセージが残されているようだ。
面白い!
YMCAや山小屋や民宿に置いてあるそんなノートが無性に読みたくなった。
で、マルヨシくん、いま、どうしてるかなあ!
PS いま思い出した!「ワカヨシ」くんだった!
「このノートだれかがなくしたのね。だれのにっきかしらないけど、みつけてもらえたらいいね。わたしはわたしがすき。でも、ときどきいやになるの。じゅうにさい」
「33才。今日、同僚の友達が亡くなって動転してるの。Bisuは素晴らしい男で、毎日、私に創造的なヒントをくれたの。寂しい・・」