「オレの職業はなに?」とおふくろに訊ねた。
「えっと」おふくろは加齢黄斑変性症でよく見えない眼を僕に向けもせずに答える「脚本家!」
脚本家・・・僕は考える。
たしかに、脚本家やシナリオライターになりたかったが、そんなことを僕はおふくろに言ったことがあったのだろうか?
家に置きっぱなしにした高校時代の日記を読んだか?
だけど、そこに書いた覚えはない。
認知症が進んで記憶と思考力は相当衰えているが、本能で僕の本心を読み当てることができるのか・・
「外れ。なれるんやったら、なりたいわ」
「そうか」
「だから、オレの職業は何やった?」
おふくろは背中を丸めテーブル越しのどこかに眼をやったまま考える。
「小説家・・・やないわな」
僕は椅子から転げ落ちそうになる。なぜ、わざわざ「小説家」という言葉を出しておいて、否定するのか。
「小説家じゃないわ。いちろーは、ぜんぜん、小説家らしくないで」とおふくろはいたずら小僧みたいに笑う。
「なんでやねん!」
「小説家には見えへんって。小説家やのうて、ほら、あれ。プロジューサーや」
おふくろが「プロジューサー」という言葉で、どんな職業を想像しているのかはわからない。
でも「プロジューサー」が、「古着屋」をも「ネット販売」をもさしていないことだけは確かだ。
数日前からお世話になっているグループホームのその部屋からは、能勢妙見山の麓の里山の風景が見える。耳を澄ませば、うぐいすの声が聞こえる。
うぐいすの鳴く季節というのは、今ごろだったかなとちょっと疑問に思い、ベランダに置いてあるピンクの花が桜なのか梅なのか確かめに近寄ったら、それはよくできた造花だった。
その部屋には童謡が流れ、童謡の合間に耳を澄ませばうぐいすの声が聞こえ、窓の外には年中、ピンクの花が満開になっている。
眼もよく見えず、記憶は混乱し、今自分がどこにいるのかもわからないおふくろ。
僕と若い男性ヘルパーさんとを混同していて、僕の顔を見るなり「いちろーに会ったらすぐに言ってやると思ってたんや。なんで、あの人、イスに置いたまま何時間もほおっておくんや。苦しそうに突っ伏してるやないか!はよう、なんとかしたり」
それにしても、いつ、おふくろはそんな洞察力を身につけたのか。
認知症のせいで、「やさしいおばあちゃん」と「わがままな子供」の両面を見せるようになったおふくろ。「神」と「悪魔」の両極端を行き来するようになったおふくろは、僕の夢や希望や失意を「神」のように見抜き、「悪魔」のように指摘する。
グループホームをあとにして、その日の午後、嫁が55才の誕生日のプレゼントにと買っておいてくれた馬場俊英さんのライブに行った。
曲の合間に、彼がこんな話をした。
「田中将大くん、頑張ってるじゃないですか。斎藤佑樹くん、もひとつじゃないですか。でも、人生、野球だけじゃないしこれからどうなるかわからないから、斎藤くんの人生は、それはそれでいいと思うんですよね、と言ったら、◯◯さんに言われちゃったんだよね。いや、だめでしょ!今、野球の勝負の世界にいるんだから、その世界にいる以上、いる間は、野球で勝たなきゃって。それはそうだなって思いました。一番になるぞって頑張っているひとたちに、『ナンバーワンにならなくてもいい、オンリーワンでいい』なんて言っちゃうと、やる気を砕いちゃいますしね」*1
だから、なに?
いや、この前の土曜日、なぜかとても鮮やかな一日だったんだ。
おふくろが言うように、僕は小説家じゃないから、その一日のすべてのことをうまく言葉にすることができない。
その一日は、連綿と続く平凡な毎日の中で突然輝いた特別な一日だった。そして、それは、カットされたダイヤモンドみたいに、いくつかの面をもっていて、それぞれの面が輝きを放っていたのだ。
そのうちの一面を、書いても差し障りのない、小さな一面を、敢えて書くとこういう風になるんだ。
僕はいつか、あの一日の輝きの本質を、言いつくすことができるようになるのだろうか。
photo from New Old Stock
*1:録音したわけではないので正確ではないです。たぶんこんなニュアンスのことを話しておられました