ICHIROYAのブログ

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ネットのおかげで、本当に、「好きなことを仕事にしやすい時代」になったのか?

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by whatmegsaid

アマゾンさんから550円のギフト券がいただけると連絡があった。
やったぜ!
そいつは、いま読んでいただいているこのブログで得た、はじめての収益だ。
ブログで紹介した本などを買っていただいたとき、いくらかの収益がいただけるようになっている。
1年半ぐらいかけて、1日も欠かさず、毎朝書いてきて、今日のこの記事で500記事だ。
ひとつの記事に、平均1時間半かけていたとすると、750時間。
時給にすると、7銭強である。

最近、見に来ていただいている方が少しづつ増えて来たけど(いつも、ありがとうございます!)、僕の場合は、やはり、才能がないのか、やりかたが悪いのか、人気ブロガーと言われる方々から見ると、PVなどは、一桁少ない。
今日で、500記事目ですね!と教えてくださったtom-wさんなどは、はてなのブログを書き始めてわずか3ヶ月なのに、いつも面白いこと、はてなユーザーの琴線に触れること記事を書かれ、あっという間に、人気ブログの仲間入りをされた。
やはり、凄いかたはいるものだ。

ところで、最近、ちょっと疑問に思っていることがある。
こんな意味のことを書いてあるのをよく見かけるようになった。
ひょとしたら、僕自身も、どこかに以前書いたことがあるかもしれない。


”ネットのおかげで、世界中とつながり、自分の好きなことをして、収益をあげることが可能になった”


僕も42歳で会社を辞めて、いわば、ネットのおかげで食べさせていただいているので、この言説の見本みたいに思われているかもしれないけれど、本当かなあ、と思うのだ。
だいたい、そういうことを言うかたは、有名なブロガーのかたとか、ネットのビジネスの黎明期に、頭角を現したひとが多い。
ひょっとして、それは、黎明期だったからこそできたことで、ネットがもたらした本質は、


”ネットのおかげで、好きなことを仕事にするのは、さらに難しくなった”


ではないのか、とも思うわけである。
それは、あくまで仮説で、統計的に検討する数値があるわけではない。
逆に、みなさんの意見も聞きたいと思う。


たとえば、だ。
僕の仕事で言えば、ネットのおかげで、ごく小さなマーケットのもので、世界に向けて発信できる、世界がマーケットになるから、商売になるようになった。
と、以前、思った。
だけど、日本から海外に向けてネットショップで販売する業態は、うちの古い着物やお弁当箱や原宿ファッション、アニメ・音楽関連などを除いて、大きく発展する気配がない。
それらも、国内向けに比べれば小さなもので、大きなはずの世界のマーケットは、小さなはずの国内マーケットより、ずっと小さな規模にとどまっている。
ネット通販の世界で言えば、「世界中とつながって」はいるが、「自分の好きなことをする」以前の段階にとどまっている、と言える。


たとえば、だ。
書くことが好きなひとたちは(あ、僕もその種族です)、本当に、それを仕事にしやすくなったのだろうか。
ライターの給与がどんどん下がっている、作家と呼ばれるひとたちも本が売れずに困っているって話を頻繁に聞く。
有益、最新で、面白い「読むもの」は、ネット上で無料で大量に読めるので、お金を出す人がどんどん減っていくのは、当然のことのように思える。
はてなブックマークなどの鮮度や精度がさらに上がれば、その傾向はさらに顕著になっていくだろう。
で、その先に何が待っているかといえば、従来の、作家もしくはライターのような仕事は、さらに、報酬が下がって、生計を立てることがさらに難しくなり(ごくごく一部の人を除いて)、プロのブロガーの収入も厳しくなるのではないだろうか。
仮に有名ブロガーになったとしても、「ブロガー単位」で読まれることよりも、「記事の価値」で選択的に読まれることが増えて、PVは相対的に減っていくのではないだろうか。
いまから、ブログで生計をたてようなどと考えると、とてつもない困難が予想される。
才能のあるほんの一握りの人たちは、いつの時代も食えるが、僕を含めて、そうでないほどほどの人たちには、「書くこと=好きなこと」で稼ぐことは、以前にまして、難しくなっているような気がしてならない。


ネットのおかげで、価値のあるものは、埋もれたまま終わってしまうこどはなく、必ず世に出てくる。
いまはまだ、洗練されていない部分があって、それほど価値のないものも、前面に出てきて、「食える」状態にある。
それが、いわば、ちまたに溢れている、ネットで楽に稼ぐノウハウだ。
だけど、検索やソーシャルがさらに発展し洗練すると、いまのマダラ模様は解消されて、本当に価値のあるものしか、目にとまらない状況になるのではないだろうか。

ほんの一握りの才能のある人は別として、一般的に言って「稼ぐ」とは「マダラ模様をみつけて、そのマダラの境を行き来する」ことだと思う。
だから、僕のイメージでは、「マダラ模様」がなくなってしまうと、一般人が稼ぐことは、至難の技になってしまうと思うのだ。

まあ、ともかく、上に書いたようなことは、僕の仮説に過ぎない。

「お金持ちにならなくても、好きなことを仕事にして、本当に必要な分だけ稼いで、豊かな人生を送ろうよ」


という夢のような言葉を、全否定するつもりはないんだけど、ひょっとしたら、「好きなこと」のところを、「得意なこと」に変えたほうが、現実的ではないかな、と思ってしまった。

 

aniram-czechさんの記事、

ちきりん『未来の働き方を考えよう 人生は二回、生きられる』の、書評。

や、かん吉さんの記事、

今の働き方があと何年続くんだろう?と不安に思う方へ

 

を読んで、ぼんやり考えていたことを、ちょっとまとめてみた。