ICHIROYAのブログ

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もしもピアノが弾けたなら

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和楽器模様 紬名古屋帯


夜中、母の枕元に座って、「ギタリストになる」と言ったのは中学3年の時だった。
「だから、もう、受験勉強はしない」と。

僕は、本気だった。
ローマ帝国滅亡の年を覚える暇があれば、運指の猛練習をするのだ。
そして、エリック・クラプトンのような渋いギタリストになってやるのだ。

母も偉い。
母は泣いて、その言葉を真剣に受け止めた。
ご近所のギターがとてもうまいと評判のTさんの家にいき、息子がギタリストになると言っているが、なれると思うかと尋ねた。
どうやら、Tさんは僕の演奏も聞きもせず、売れないバンドマンの成れの果ての姿を、鮮やかに語ってみせたようだ。

もちろん、息子を医者にしたいと思っていた父は、大反対である。
態度を保留していた母も、父に合流して、猛反対を始めた。
「そんなに勉強が嫌なら、せめて、高専へ行って技術者の腕をつけよ」と。

ギタリストへの道か、医者への道か。

しかし、家族を巻き込んだ、深刻な進路問題も、僕があっさりと、決着をつけてやった。

ギタリストになるのは、無理かもしれないので、やっぱり、普通高校へ行く。


僕は、音楽の天使に嫌われているようなのだ。
聴くのは大好きなのに、一生報われない片思いとは、このことである。
中学時代の友人にもギターの上手いやつがいたが、どうしても、彼のようには弾けない。
しかも、彼はレコードを聞くだけで、そのとおりに演奏してみせたが、僕には耳コピーはできず、五線譜(もっと正確に言えば、TAB譜)が必要だった。

その時だって、わかっちゃいたのだ。
でも、受験勉強から逃れたい一心で、そんなことを言い出して、大騒動を巻き起こしてしまったのだ。


しかし、楽器をうまく演奏したいという熱望は、その後も消えることはなかった。

ギターをあきらめた僕は、ピアノの才能ならあるのではないかと密かに期待して、娘たちがピアノを習い始めたとき、僕もピアノの練習を始めた。
先生につく決まった時間はとれないので、自己流である。

「ジ・エンターテイナー」(映画スティングの主題曲)、「レット・イット・ビー」そして、「パッヘルベルのカノン」。
基礎もくそもなく、この3曲だけを練習した。

夜、会社から帰ってからも練習である。
消音にして弾いていいたのだが、マンションではお隣にかなり響いていたようだ。
ある夜、交流のないお隣のご主人さんから電話がかかってきた。

「あ~怒らないでくださいよ。隣に住んでいるものです。べつに、ことを荒立てるつもりはぜんぜんないんで。ほんとうに、怒らないでくださいね。で、あれなんですよ。毎晩、ちょっと、ピアノがうるさいんです。あ~怒らないでくださいね」

つねに良き隣人であることを自負している僕は、大いに赤面して、それ以降、夜のピアノでの練習はやめた。
が、そのかわり、小さいめのデジタルピアノを買ってきて、練習を続けた。

さて、その3曲の練習曲であるが、数か月後、もう少しで最後までいけそう、というところまで弾けるようになった。

でも、その時に気づいたことがあった。

当初好きで選んだその3曲だったけど、毎日毎日、繰り返して練習するうちに、完全に飽きが来てしまい、たとえ、完璧に弾けるようになったところで、気持ち良くなさそうなのである。
それに、それがギターで、若いときであれば、女の子の前で披露して賞賛を浴びるチャンスはあるが、ピアノではそういった機会はなさそうである。
では、つらいつらい数か月の練習はなんだったのか。

モチベーションが少し低下気味のところへ、ある日、会社の同期のNくんが我が家に遊びに来た。

ピアノも少し弾くんだ、とかなんとか言って、僕はピアノの蓋を開けて、「パッヘルベルのカノン」を弾き始めた。

しかしNくんは不埒な聴衆で、ちょっと僕がつかえてしまったあたりで、ふ~ん、と言ったきり、手元の雑誌に目を落としてしまった。
仕方がないので、映画好きな彼に、「ジ・エンターテイナー」の触りを、ビートルズのファンでもあった彼に、「レット・イット・ビー」を、弾いてあげた。

ミニ演奏会が終わっても、Nくんから、演奏に関するコメントはなかった。


そして、僕はその日以来、ピアノに触れることも、なくなってしまったのである。

ああ、娘や嫁のようにピアノが弾けたらなあ。