ICHIROYAのブログ

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ミドルたちよ!ギターをとれ、ペンを握れ、カメラをもって街に出よ!

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 子供のころのパッション、夢を追うべきか、諦めるべきか。
 僕がかかわっている多くの若者が、そのことに悩んでいる。そして、多くの若者が、日々の生活の資をなんとか別の仕事で稼ぎながら、それを熱く追いかけている。   
 今日、書きたいと思ったのは、そのことではない。
 
 いつも読ませていただいているBrainPickingsというサイトに、素敵な本が紹介されていた。
 本は『Practicing: A Musician's Return to Music(練習:ミュージシャンの音楽への帰還』という2008年に出版されたもので、グレン・クルツさんというプロミュージシャンの自伝的な内容の本である。

 このグレンさんという人は、若い頃からプロのギタリストを目指していた。
 音楽学校で学び賞を得るなどして、将来を期待されていたが、彼は、結局、プロになるのを諦めてしまう。
 15年に渡って、自分のすべてを、ギターを演奏すること、そして、主にギター演奏を練習することにつぎこんだあげくである。
 スーツを着て就職した彼の挫折感は大きかった。
 そして、彼はその後、10年、ほとんど音楽から遠ざかることになった。
 あれほど自分のすべてを捧げたのに、自分に報いてくれなかった音楽が嫌いになった。そして、自分の音楽の才能のなさに、それを知らずに15年も練習ばかりの人生を送ってその時間を無駄にした自分の馬鹿さ加減に絶望した。


 しかし、10年のブランクののち、彼はギターの練習に戻り、結局、プロのミュージシャンになって、この本を書いたのである。

 Brain Pickingsの記事には、彼の本から印象的な部分が引用されており、それを読んで、彼の気持が僕の胸に沁みた。
 文章を書くことぐらいしか、僕にできることはないと思った子供時代。浴びるように本を読んでいた。
 そして、彼ほどではないけれど、何かを書こうとあがいていた青年時代。
 諦めて就職し、働きながらやっと一作書き上げたものの、一次選考にも残らず、いよいよその夢を完全に諦めた30代半ばの頃。
 夢を追って結局は諦めた人たちと同じように僕も絶望した。
 そして、僕は、小説も、映画も、なにもかも、それ以前に大好きだったものを、大嫌いになったのだ。
 そういうものを創る才能もないのにそれを追いかけている間に、ほかにあったかもしれない可能性を潰してしまった、ほんとうはもう少し計画的なキャリアアップができたんじゃないだろうか、と。
 自分にもがっかりしたし、それを追いかけさせた凄い作品たちには、もう触れたくないと思ったのだった。
 まったく、彼みたいに。


 僕の場合は、その後、仕事に面白さを見出して、なんとか自分の人生に意味をみつけることができた。
 だけど、もう時間があまり残されていないと思うと、書きたいという思いが蘇ってきて、また、こうして文章を書き、その喜びを生きがいとするようなことになってきた。

                         
 彼の本では、「練習」することが、いかに意味のあることかが述べられているようだ。
 彼によれば、「練習」というのは、単なる苦しい繰り返し(ルーティン・routine)ではなく、それぞれのクリエィティブな人生の物語の一部、期待と不安とそれがもたらすアートの喜びを糸とする布を織るような行為、ひとつの路(ルート・route)のようなものだという。
 そして、こうも語っている。
 「人生とは制約なのだ。その限界を超えようとし続けることが大切なことだ。そして、それは、なにを、いかに練習するかということに、すべてがかかっている*1

  
 僕にとって、毎日のブログは、ひとつの練習でもある。
 そして、彼の言うように、この練習は、辛く苦しいと思う時もあるけれど、予想以上の表現ができて、自分の可能性と世界が同調した!(大げさ!)みたいに感じるときもあるのである。

 さて、僕が今日、書きたかったことが何か、もうわかっていただけたと思う。
 そろそろ中年もしくはシニアに達したあなた。
 子供の頃に、持っていた夢を、いつか、諦めてしまわなかっただろうか?
 諦めてしまったことで、かえって、そのことを大嫌いになって、遠ざけてしまってはいないだろうか?
 子どもたちも大きくなり、社会的な責任も、限定されたものになってきたのなら、そろそろ、その封印を解いて、その夢を取り出してみてはどうだろうか。
 そして、もう一度、それに、その懐かしい手触りを楽しんでみてはどうだろうか。
 さあ、ギターケースから、ギターを取り出して、昔みたいに、毎日の練習に戻ろうではないか。

 もう、若い頃のように、それで稼ぐ必要はない。
 発表することにも、昔みたいにお金もかからない。 
 練習を楽しみ、それをネットなどで発表して共有してもらい、自分の好きだったこととの物語を、もう一度、紡ぎなおそうではいか。

  
 ギタリストになりたかったのならギタリストに、小説家になりたかったのなら小説家に、カメラマンになりたかったのならカメラマンに、映画監督になりたかったのなら映画監督に、いまこそ、なる時がきたのである。  

 

Practicing: A Musician's Return to Music

Practicing: A Musician's Return to Music

 

  *photo by derriel street photography

*1:ちょっと訳不安です。原文:Limitation is the condition of our lives. What matters — what allows us to reach beyond ourselves, as we are, and push at the boundaries of our ability — is that we continue. But then everything depends on how we practice, what we practice.