夢は叶えるものではなく、人が叶えさせてくれるもの
きのうはテレビ番組の収録でテレビクルーと若一光司さんが来社されていた。
番組の趣旨は戦争柄の着物についてで、なぜそういうものを海外に売るようになったのかという僕らのビジネスの話も多少お伝えいただけるようだ。
前から思っているのだが、収録現場のディレクターさんはかっこいい。
プロデューサーさん、出演者、カメラマンさんなどに、同時に最大限の配慮しながら、必要となればはっきりと決断して、秒単位でスパスパと仕事をすすめていかれる姿には、ほれぼれとした。
若一さんもとても優しい腰の低い方で、短時間お話させていただいただけだけど、真摯に僕のようなものの話を聞いて下さり、いっぺんに大ファンになってしまった。
その話をFBに書いたら、アミコンのタカッチも番組出演で一緒になったことがあるそうで、その人となりに感心されていた。*1
ところで、「夢を叶える」と言う。
もちろん、夢を叶えるために努力するのは自分であり、それを成し遂げるのは自分の意志ではある。
だけど、最大限の努力をすることは前提であって、その先に、言い古された真実がある。
それは、どんな夢でも現実に叶えさせてくれるのは人である、ということだ。
たとえば、ミュージシャンになるには、才能が不可欠だろう。その上に努力もいる。が、CDを買ってくれる人、コンサートに来てくれる人、そういう人たちが現実に行動をおこしてくれることで、また、そういう人たちが多数になることで、そのミュージシャンの夢は現実のものになる。
ミュージシャン自身が「夢」を現実化することはできず、他人がそれを現実のものにするのだ。
いや、当たり前過ぎて、馬鹿げているんだけど、どうも僕らはそのことを忘れがちなのだと思う。お客様は神様です、馬鹿!、神様のはずがない。そんな議論に振り回されているあいだに、当たり前のことが飛んでしまうのだ。
なににせよ僕が実現したい夢があるとする。
もし、それが実現しないとしたら、努力不足や才能不足もあるだろう。
だけど、それが実現しない最大の理由は、夢は自分が叶えるのではなく、人が叶えてくれるのだということを、ほんとうの意味で理解していないからではないか。
僕は歳もとり無欲になったほうだとは思っているが、それでも、そこに頑固な私心が宿っていて、殺しきれていないからではないだろうか。
若一さんの笑顔に大いに触発されたらしく、撮影が終わって若一さんが帰られてから、そんなことをぼんやりと考えていた。
若一さん、クルーの皆さん、ありがとうございました!
photo by Wendelin Jacober
*1:番組の放映日時が決まりましたら、また報告しますので、見て下さいね!