「背面跳び」が教えてくれるもの
1968年のメキシコオリンピックのとき、残念ながら僕は9才で、その歴史的瞬間を目撃するには若すぎた。
走り高跳びで、ほかの選手がお腹をバーに向けてベリーロールで跳んでいるのに、ただひとりディック・フォスベリー選手は背中をバーに向けて跳び、優勝をさらったのである。
走り高跳びの世界が劇的に変わった瞬間であった。
この背面跳び誕生については、興味深いことがいくつかある。
1.環境が変わった
当時、着地用のマットはウッドチップとおがくずで作られていたそうである。それがちょうどウレタンフォームに変わりつつあって、フォスベリー選手のいた高校でもそれに変わったばかりだった。
着地用のマットが変わったので背面で飛ぶということが、安心してできるようになった。
ただし、ほとんどの選手は、その環境の変化によってジャンプのスタイルがより自由になったことに気がつかなかった。
2.普通のやり方ではうまくいかなかった
フォスベリー選手も最初はベリーロールで跳んでいた。記録が伸びずはさみ跳びに変えて練習していたところ、腰の高さが上がり、背面跳びの着想を得た。
もし、彼がより才能に溢れており、ベリーロールで良い記録を出していたら、背面跳びの誕生も、オリンピックでの優勝もなかったかもしれない。
3.最初はみんなが笑った
彼の背面跳びを奇妙なものとして、最初はみんなが笑いものにした。わざわざ彼を笑うために人が見に来たそうだ。
4.彼より早く背面跳びを試していた人はいた
彼より早く、3年ぐらいまえに背面跳びを試している選手もいた。だが、彼は背面跳びを諦めてしまった。彼の練習環境にウレタンフォームのマットがあったかどうか、彼の記録がどうだったかということはわからない。が、背面跳びを試していたのはフォスベリー選手だけでなく、また彼がもっとも早かったというわけでもない。
劇的な話なので、たくさんの記事がすでに書かれているが、僕は今日、いつも読んでいるJames Clear氏のブログでそのことを知った。
Clear氏はそういったことはビジネスでも起きており、最近の例ではスマホを利用したタクシー配車サービスのUberをあげておられた。とくに、インターネットとスマホの普及で環境が変わったことが、Uberの背景にある。
また、僕が会社を辞めて自分たちのビジネス、「海外に着物をネットで売る」ということも、まさにそんな体験だったなと印象深く思い出した。
インターネット販売の黎明期で、海外にものをネットで売るためのインフラは整いつつあったが、それをやっている人はあまりいなかった。
僕らは古着業界には新参者であり、着用目的で買われる日本国内のお客様に、着物を売る自信もスキルもなかった。海外に売るなら、商品知識の不足があっても、デザイン重視で商売を成立させることができた。
知人に話したところ、最初のころは、誰もそれがまともなビジネスになるとは思ってくれなかった。面と向かって笑われはしなかったけど、ほかのことをやったほうがいいという真剣なアドバイスはいくつかいただいた。
ebayで売り始めたころ、先行者が何人かおられることに気がついた。僕らは一番最初ではなかったが、14年経って、いまだにそれを続けている人はほとんどいなくなった。
そう考えると、フォスベリー選手の背面跳びの成り立ちは、ビジネスにおいてもとても示唆に富んでいると思うのである。
つぎの「背面跳び」、早くやりたい。