脱サラ起業に成功したのは運~僕が中高年の脱サラ起業を勧めない理由
たまたまこの記事*1が多く共有されたため、このサイトに来ていただくかたの多くが「会社を辞める」「会社を辞めたい」という検索ワードでたどりつかれるようだ。
そういう方々に直接声をかけれるなら、「辞めるのはやめた方がいいですよ」ということであって、「辞めたってなんとかなる」ではけっしてない。
この記事*2も、すでに自分で商売を始めるしか方法がないというひとに向けて書いたもので、脱サラをお薦めしているわけではない。
40歳前後というのは、会社での将来は見えているし、やり直すなら最後のタイミングで、多くのひとは色々と思い悩む。だが、20代なら失敗してもやり直し可能だが、40代で失敗してしまうとやり直しが相当困難だ。失敗は家族、とくに子どもたちの未来を巻き込んでしまう。
僕は42歳の時に脱サラして今の商売を始めたのだが、なんとかやってこれたのも、やっぱり運が大きかったと思う。心情的には、それは努力の必然であって欲しいし、ついついそう思ってしまう自分がいるのだが、冷静に考えるとやっぱり運が大きかったなと思うのだ。
人生が、必然(もしくは努力と言ってもいいかもしれないが)と偶然(もしくは運)の織りなす織物であることはみんなわかっているが、40前後の脱サラの成否については、一般的に考えられているより、偶然の比重が大きいと思う。会社を出て12年経った今でこそ、僕は何があっても自分と家族の分ぐらいは稼いでみせるという自負はあるが、脱サラして仕事を始めるのは、逆方向に走っている電車から電車へ飛び移るほど難しいと思っておいたほうが良い。
僕の場合、ふたつの大きな幸運があって、今の商売にたどりついた。
退社する前後1年ぐらい何をするべきか悩み続けたのだが、今の商売の直前にやろうとしていたのはエスニックショップだった。
店鋪物件を探すうち、最終的に選んだのは、やや大きな郊外の駅のそばの広い目の店鋪。テント屋さんが使っていたところなので、天井も高く広い空間をうまく演出できそうだった。
もちろん、広い分、駅から近い分、家賃は高い目で、想定予算をかなり上回る。だけど、僕のイメージする店鋪をつくるためには、そこがぎりぎり譲歩できる物件だった。
嫁とふたりで1日物件のそばに座り、通行人を数えて、通るひとたちの様子を観察した。そんな僕らに大家さんが温かい飲み物を持ってきてくれたりもした。
そのときの僕が持っていたのは、1,000万の早期退職金と2,000万近いマンションのローン残。そんなに広い物件を在庫で埋めようとすれば、数百万は飛ぶ。敷金や什器、改装費を切り詰めたとしても、中学生の子供ふたりを抱えた生活資金は1年分も残らない。マンションを売るにしても相場はローン残高より安くなっており、売るに売れない。
その物件で商売を始めるなら、100%成功しなければならない。
でも、起業すると言って会社を辞めて、すでに半年。何かを始めなければ、スタートラインにも立てない。
覚悟を決めて、賃貸契約をむすぶことにした。不動産屋さんに電話をいれて、翌々日の午後の賃貸契約のアポをとった。
しかし、その日の夜、心配がどんどん膨らむ。絶対に成功するだろうか?ベッドの中で悶々とする。失敗すれば虎の子の資金はすべて失う。ほんとうにこれでいいのだろうか?
翌朝、誰かのアドバイスが欲しくなり、大阪府の起業サポートの部署に電話を入れると、その翌日の午前中、賃貸契約のアポの日の3時間前にコンサルタントのおひとりが会ってくださるとのこと。
僕と嫁は、賃貸契約用の実印・銀行員を持ち、物件の図面や店のプランを書いたものを持って、そのコンサルタントの方のもとへ相談に出向いた。
たまたまそのコンサルタントの方は、僕と同じく元大丸の方で親近感を覚えたのだが、ともかくその日の午後に契約しようとしている物件と店のプランを説明した。
穏やかな表情で最後まで聞いてくださった彼は、開口一番、こう言ったのだ。
「絶対に、失敗するから、やめておきなさい」
やめておいたほうが良いとか、失敗すると思うとかではない。
絶対に失敗すると断言したうえで、やめておけと、半ば命令口調でおっしゃってくださったのだ。
僕はようやく目が覚めた。
あのとき、もし相談にのってくれたのがあのコンサルタントの方でなければ、他人の人生に深く関わる覚悟のない別のコンサルタントであいまいなアドバイスをもらっていたら、そのあとの賃貸契約をキャンセルほどの気にはならず、僕らは不安な思いを抱きながらその物件での店鋪ビジネスに、すべてを賭けていただろう。
そして、今から思えば、そのプランはどう考えてもコンセプトがあいまいで、店は失敗しただろうと思う。
もうひとつの幸運は、そう、アンティーク着物という商材に辿り着いたことだ。
そのコンサルタントの方のアドバイスで、店鋪ビジネスを始めるには資金が不足しており、リスクが高くなり過ぎるとようやく思い知った僕は、一坪とかワゴン2,3台でも売れる商売を探すことにした。ちなみに、12年前は、ネットショップで月商100万円をあげるのは至難の技といわれており、ネットショップで稼ぐというのは現実的な選択肢ではなかったのだ。
そういう商材は、青空市とか露天によく出ている。そこで、嫁を誘って、四天王寺さんの市に出かけたのだった。その時僕の頭にあったのは、アクセサリーとかの雑貨アイテムだった。
そして四天王寺さんの露天でアンティーク着物に出会う。
たまたアンティークの着物を手にとって、素敵な手の仕事だなと思い、その値段を聞いた。いまではそれがどんなものだったのか、思い出せないのだが、3000円ぐらいの値段を言われて、その安さにびっくりした。
実はその発見をする以前、色々な可能性を考えていた時、「着物を海外にネットで売ったら売れへんかな」と嫁に話したことがあったのだ。だが、いくつも考えて否定したジャストアイディアのひとつに過ぎず、そのときも、「外人がどうやって着物を着るん?高いし」「そやな」で終わってしまっていたのだ。
ちょうど、外人の女性が着物を見ていたので、英語が堪能な嫁に「着物をどう思うか、買ってどうするつもりか」訊ねてもらった。
すると彼女の答えは驚くべきもので、「おみやげに最適なの!着るわよ、バスローブとか部屋着として!」であった。古い絹の黒留袖を部屋着に着る?!
そして、ひょっとしたらと思っていた僕と嫁の目の前で、別のひとりの外人さんが大量の着物を買い始めたのだ。次から次へと選んで、お店のひとに渡していく。
僕はたまらずに、そのお店のひとに訊ねた。「そのかたは、着物をどうされるんですか?」
「アメリカのバイヤーさんよ。うちで仕入れてアメリカで売ってはるわ」
僕と嫁はその足で銀行に行き、10万円ちょうどおろして露天に戻り買えるだけの着物を買った。それをオークションサイトのebayで売ってみたのが、今のビジネスのスタートだった。
あの時、たまたま想定外のアンティーク着物を手にとらなかったら、どうなっていただろうか。
あの時声をかけた外人さんの答えが、否定的なものだったら、着物をやってみようという考えはストップしていたかもしれない。
そして、あの時バイヤーさんが仕入れを始めなければ、即座に10万円おろしに行くほどの可能性を感じることができなかったかもしれない。
現在の商売の根っこには、このふたつの大きな幸運があるのだ。
もちろん、その後も多くのひとに出合い助けられ、ずっと運に恵まれてきたと思う。
そして、とくに最初の3年ぐらいは僕も嫁も死ぬほど働いたし、寸分を惜しんで勉強した。
結局小売の世界にとどまっているのは、僕のキャリアからくる必然だろうし、嫁の英語力も努力と必然の結果だと思う。
だが、商売や起業は必然の経糸と偶然の緯糸の織りなす織物であって、どちらか一方で成り立っているものではない。
そして、とくに40代ぐらいで脱サラか会社に残留かと悩んでいるかたには、脱サラ起業がいかに大きく運に左右されるかということを、ぜひ、知っておいて欲しいと思うのだ。
photo by Ben Heine