欧米でネットの匿名性が抹殺されつつあるのはなぜか
*ファイアフォックスのプラグインで僕のPCの現在の接続状況を調べたもの(こんなたくさんのサイト、開いてませんけど?!?)
ネットの匿名性について、ちょっと気になっていたので、ちょっと調べた。
日本のネットは匿名が主流。欧米では、実名が主流と言われる。
フェイスブックが、日本のネット環境を変えつつあるけど、いまだ、匿名のサービスも多い。
欧米では、フェイスブックとGoogle(アカウント)のため、ネットでの匿名性は、ほとんど抹殺されつつある状況だ。フェイスブックはもちろん、Googleの元CEOも、「将来インターネット空間での匿名性はなくなる」と述べているらしい。
そして、主流の意見は、その流れも当然、というものらしい。
その流れに対して、ネットでの匿名性を維持する方向での試みも行われている。
有名なところでは、4Chan (Yotsuba-Chan Wikiの解説)という画像掲示板や Tor Project(匿名でのネット接続を提供するフリーソフト)というようなものがあり、ネット空間から匿名性が失われる危険性を主張している。
が、そういった試みが、今後、どの程度の広がりをもつことになるのか、わからない。
イギリスのガーディアンにもこんな記事がのっていたが、その論調は、匿名性に大きな評価を与えているものではないように読める。
ざっといろいろな記事を読んだ範囲では、ネット上での匿名性がもたらすデメリットに、議論が収束しているようだ。
このイラストがそのデメリットをよくあらわしている。
「普通のひと」 + 「匿名性」 + 「聴衆」 = 「FUCKWAD」
「Fuckwad」というスラングがよくわからないが、たぶん、「だれかを口汚く攻撃するひと」みたいなイメージだろう。
優しく柔和な顔をした普通の人々も、匿名の仮面をかぶり、たくさんの聴衆がいると、その聴衆が望む方向に、その行動が加速して、軽々と一線を超えて、悪魔か犯罪者のようになってしまう、ということのようだ。
英語で書かれた匿名性の否定の記事は、ここに行き着くものが多いような気がする。
この点は、事前に想像していたこととは、ちょっと違う。
「欧米の成熟した社会では、名前を名乗らない発言は、まもとにとり合ってもらえないのだ」というふうな説明を鵜呑みにしていたのだが、実は、そういった暗部を放置すると、社会に大きなダメージを与えてしまうほど、その闇が広く深く広がっているせいなのではないか、とも思える。
どうやら、日本のネットが、いまだに匿名性を維持している、維持できているのは、日本の社会が、アメリカなどより、協調性や調和がある、結果なのではとも思うのだ。
匿名だからと言って、話が悪い方向にばかり行くわけではないことを、日本人のネットユーザーはよく知っている。
ハンドルネーム(ネット上での匿名の名前)での発信が、ネット上で支持され、社会を良い方向に変えるチカラをもつこともある。
欧米のページのなかにも、そのあたりのことを認識する意見もちらほらある。
たとえば、このページでは、「匿名性」と「聴衆」が加速させるのは、「悪意」や「攻撃」だけでなく、「善意」や「愛情」の場合もあり、それはそのサイトの管理者次第で、どちらへもなりうることを書いている。
僕は実名でブログを書いている。
匿名のブログは、なんでも書けていいな、と思うこともある。しかし、書きたければ、匿名のブログだって始めることができる。
その自由があることは、とても、ありがたいことだと思う。
ニューヨークでは、匿名によるネットの書き込みを禁じようなどという法律が提案されて、まじめに考えられているのだ。
ネットの匿名性といっても、ネット接続をすれば、IPアドレスが記録に残り、犯罪性のある書き込みは、書き込みをしたパソコンを特定できる。
そのため、どこの国でも、完璧な匿名というものはないのだけど、もちろん、プロが手がければそれも可能らしい。
僕も、もちろん、匿名による悪態、批判、悪口が大嫌いだ。
そういったもので溢れているところへは、あまりいかない。
でも、ネットでの匿名性は、少なくとも、今の日本のレベルで、保持すべきだと思うのだ。
ひょっとしたら、いつか政治が大きく振れてしまって、
戦わなければならないときが来るかもしれないではないか。