ICHIROYAのブログ

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マイアミ動物園のロン・マギル氏が、長期間に渡って総額1億円の寄付をした匿名人物との交流を明かす(全文翻訳:前半)

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 素晴らしい記事をみつけた。

 Redditで話題になっており、フェイスブックでも1万以上の「いいね!」がおされているが、この種の話は日本のニュースには乗りにくい。
 正式な翻訳が出ればそちらを読まれることをお薦めするけど、取り急ぎ、翻訳してみた。
 やや長い記事で、今日は全文を訳す時間がない。前半だけ訳すので、後半は明日、もしくは英語の勉強を兼ねて元記事を読まれることをお薦めする。(とても読みやすい平易な英語です)

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Zoo Miami’s Ron Magill reveals identity of long-anonymous donors of millions

『マイアミ動物園のロン・マギル氏が、長期間に渡って総額1億円の寄付をした匿名人物との交流を明かす』

 

 2007年、市民グループの集まりで、私(ロン・マギル)はハリケーン・アンドリューのために破壊されたマイアミ動物園の 苦しい現状について説明していた。ボランティアやスタッフは頑張ってはいたけれど、多くの人は再建は 不可能と考えていた。

 プレゼンテーションの後でたくさんの人たちが声を援助を約束してくれた。 その中にひとりの痩せた紳士がいた。おそらく60代後半か70代で、私の父が着ていたような地味な服を着 ていた。彼は封筒を私に手渡して、私の話に感動したこと、この寄付を動物たちのために使って欲しいと 言った。ただし、自分の寄付は匿名にしておいてくれと。

 動物園に帰ってからその封筒を思い出して封を切った。折りたたんだ小切手が入っていた。25ドル程度の ものだろうと思った。 驚いたことに、その小切手の金額は9万ドル(約900万円)だった。最初に思ったのはこの小切手は有効じ ゃないんじゃないかということだ。紳士の風采から、彼がそんな金額の寄付をできるような人物には思え なかったのである。私は彼にお礼の手紙を書いた。彼からの返事は、明らかに古い機械式のタイプライターで書かれていて、 そこにはなお匿名にしておいて欲しいと書かれていた。

 1年少し経ったころ、私宛の封書、私の名前に二重のアンダーラインを引いた手紙が届いた。その封筒と 古いタイプライターによる印字はあの紳士からのものであるとすぐにわかった。そこには、10万ドル(約 1000万円)の小切手が入っていた。 私はその紳士が極度にプライバシーを守ろうとしていることはわかっていた。だが、彼のことをもっと知 りたくなった。私はお礼の手紙に、彼とじっくり話す機会が欲しいこと、そうすることによって彼の寄付 はより彼の意向に沿った方法で活用することができるようになると書いた。 驚いたことに、彼から電話があり、家に来るようにと言われた。

 彼の家に向かって車を走らせているとき、きっと大きな邸宅に違いないと思っていた。彼は引退したCEO に違いないと思って検索してみたのだが、彼の名前は検索にひっかかって来ないのだ。
 彼の家は、1950年代の家に見える、驚くほど質素な古いもので、古い日産のセントラが停められていた。 彼はポーチにいて、昔、私の両親がビーチで使っていたようなビニールの椅子に座っていた。 家の中はピカピカに磨きあげられていたけれど、1960年代から何も変わっていないように見えた。家具は オールドビクトリアン様式。リビングルームには装飾的な陶器のランプ。緑とピーチのアールデコ調でア クセントをつけられたダイニングルームの壁。家具は1950年代から60年代初頭のものに間違いないが、よ く手入れされていた。

 部屋では彼の奥さん、ほっそりした青い目のアイリッシュ風のアクセントで話す老婦人が温かく迎えてく れた。 私は動物園の再建の状況を報告したが、すぐに彼自身についての話題になった。
 彼はニューヨークで生まれ育った。母と妹を食べさせるために苦労した。父がアルコール中毒で彼がまだ 若い時に家を捨てて出て行ってしまったのだ。近所の少年たちが学校へ行っているときに、彼は働かねば ならず少年時代はないも同然だった。
 それは1930年代のことで、彼の初めての仕事は馬車から氷の塊を配達することだった。大きな氷ばさみを 使って、重い氷の塊を数階上の部屋の玄関に設置された「氷ボックス」に入れる(もちろん、エレベーターはない)。彼は毎日毎日この仕事 をやり、決して愚痴を言わなかった。母親を助けることができる仕事にありつけて、自分は幸運だと思っ ていたからだ。
 彼は頑張ったが、馬車をひく馬たちは悲惨だった。夏は暑すぎ、冬はひどく寒く、馬には重すぎる仕事が 与えられていた。ある時は、馬が曳き具をつけたまま通りにくずれおちた。動物たちを守ろうと決めたの は、その時だった。
 私は彼がどうやって多額の寄付ができるようになったのか知りたかったのだが、それ以上聞くのもはばか られた。彼は、専門は工具(ツール)だと言ったが、それ以上の詳しいことは語らなかった。

 その後、私は定期的に老夫婦の元を訪れて、数限りない話を聞いた。どうやってニューヨークで大きくな り、マイアミに引っ越してきて自分たちの工具ショップを開いたのか、ということを。彼は自分でタイプ ライターでつくったカタログを見せてくれて、いかにしてビジネスで成功するという夢をどうやって実現 したのかということを、誇りをもって語ってくれた。彼はワークホリックで、若いころ奥さまと十分な時 間を愉しんでこなかったことを後悔していた。彼は震える指で私を指さし言った「私みたいになるな。ま だそれができる若いうちに、旅と冒険を楽しみたまえ」
 
 ある時、Wometco(マイアミのメディア会社)から来た小切手のコピーを見せてくれた。彼は伝説の天気キャスターBob Weaverが友達で、一緒にゴルフをしている時に、彼が出演していたWTVJの親会社の株に投資するように勧められたのだ。彼がその時投資したのは1万ドル(約100万円)だったが、彼が私に見せてくれた小切手はその株の売却代金で、ほぼ50万ドル(5000万円)の金額が記載されていた。
 動物を救うための資金の一部が、株の利益から来ていることを教えてくれたのはこれが最初だった。子供のころ、彼は毎月母親と一緒に電気料金を払いに行って列に並んだ。その時に、人間にはどんなときにも公共事業が必要なのだと学んだ。それからというもの、わずかばかりのお金でも手に入れれば、公共事業株を買いたいと思うようになった。そして、彼は実際にそうしたのだった。
 
 年が経つにつれ、老夫妻は私の家族のようになった。彼らの叡智や導きは素晴らしいものだった。彼らがいっさいの贅沢をせずにシンプルに生きる様は信じられないほどだった。コンピューターも、ケーブルテレビもサテライトテレビも、生ごみ処理機もなし。リモコンもついていない古いZenithのテレビがたった1台。ガレージの引き出しには無数のネジとワッシャー、古い機械の部品らしきもの。そうやってためこまれたものは、いつでも使える状態になっていた。

 20年以上も、彼らが何か贅沢なものを買うところを見たことがない。が、毎年、彼らは寄付をしてくれた。彼らの動物園への寄付の合計は長い間に、80万ドル(8000万円)にのぼっていた。 寄付をもらうたびに、彼らの名前をなんらかの形で公にしたいとお願いしたが、彼らは固辞するばかりで、私が一生懸命に動物を守る活動をしてくれればそれで良いからと言うのだった。最終的に、ひとつのエリアに彼らの名前をつけることを許してくれたのだが、彼らの名前以外に一切の情報を公にしないことが条件だった。彼らふたりともが亡くなってしまうまで、何も言わないことを約束した。

 

 *以下、明日に続く

 

photo by N i c o_