道を下るとき
毎日、努力を重ねる。
少しでも良いものを、少しでも誰かの役に立つものをと。
その方向は明らかだ。わずかでも、上に、ほんのちょっとでも、高度を上げる方向に、一歩、二歩と上がれば良い。
そして、その日一日も、満足感をもって終えることができる。
いま、自分が登っている頂きは見える。
このまま行けば、時間はかかっても、いつか確実にそこにたどり着くことができるだろう。
しかし、ふと足を止めて周囲を見渡せば、山野はどこまでも続き、自分が目指す頂よりはるかに高い山がたくさん見える。
憧れをもってその山の高い頂きを仰ぎ見る。
自分の目指している頂きに到達した時、そこからさらに上に行く道はない。
そこでは、習慣にしていた毎日の努力は、自分をどこへも連れて行かない。
そこでは、ただ立ち止まって、そこより高い山々を遠くに仰ぎ見る。
そう感じたら、道はふたつにひとつ。
それでも、その身近に見える頂きを目指して登り続けるか、踵を返して、道を下り始めるのか。ほかのもっと高い山の頂きを目指して。
道を下るのは辛い。
毎日、登ることを習慣として、それを努力の報酬として味わいながら生きてきたのだから。
しかも、次の山に至る道が、踏破可能なのかどうか、わからない。とてつもなく広い大河や砂漠が行く手を阻んでいるかもしれないし、人生の残り時間では間に合わない長い道かもしれない。
だけど、僕が憧れる人たちは、そんな時、みんな、勇気をもって決断をして、道を下っていったに違いない。
今日も、自戒のために書いた。
僕に残された時間は長くはないが、僕もそんな風に生きていきたい。
photo by Eric Fischer