会社に全精力をつぎこまず、将来のために別のスキルを身につけるは、正しいか
今の時代は終身雇用が崩壊して、誰でも労働市場に放り出されるリスクがあるから、早くからそのための準備をしておいたほうがよい。
会社勤めなら会社の仕事に全部を預けるのではなく、将来それで食べていける何かのスキルを身につけるようにせよ。
さて、そういう論調は多い。
もちろん、正論だと思う。
しかし、僕の本では、成熟した組織人になれ、そのために100%の努力をせよ、ということを書かせていただいている。
だから、なかには、そんな風に組織に身体を預けてしまう生き方は古い、将来リストラにあうかもしれず、リスクが高過ぎると言う人もいるだろう。
だが、僕はじっくり考えてみて欲しいと思うのだ。
話をわかりやすくするために、ふたりはこんな働き方をしているとする。
Aさん:会社のなかで求められる人材になることに100%の努力をしている
Bさん:同様の努力をしているがそれは自分のもっているリソースの70%で、残りの30%は何かのスキルを身につけるための勉強をしている
さて、将来のリスクが高いのはどちらだろう。
■Aさんのリスク
・会社が倒産する
・会社がリストラをすることになる
・中高年で次の職を探すことになるが、武器になるスキルがなく再就職ができない
■Bさんのリスク
・会社は倒産せず、リストラもせずに、順調に業績も給与も伸びていく
・会社の中で出世で遅れをとる
・スキルは結局身につかず、転職しようにも転職できない
どちらにしてもリスクはあるのである。
そして、僕はどちらのリスクが高いかといえば、Bさんのリスクの方が高いように思えて仕方がないのだ。
たしかに会社はなくなってしまう可能性もあるが、リストラ!ということになっても、その時に、組織に必要な人材になっていれば、リストラされることはない。Aさんはリストラされないが、Bさんはリストラされてしまうかもしれない。
また、たとえ会社が潰れてしまっても、それぞれの会社で光を放つような働き方をしていた人は、同業者などからひっぱってもらえることも多い。
僕の知人にも数年前に突然会社が倒産して、40代半ばで無職になった人がいるが、彼はあちこちから仕事を頼まれるようになり、数か月を待たずに、元の収入を超えることになったそうだ。もちろん、彼はAさんのタイプだ。
(小さいとはいえ)会社を経営する立場になってみると、痛切に思うことは、「なぜ、ここで100%の力でやってみないのかな」ということだ。
たとえば、かなり以前のことだが、「着物が大っ嫌いです!」と言って辞めた人がいた。そして、自分が本当にやりたいことを探すと。
「着物」が嫌いって・・・「着物」は誰かにそれほどまでに嫌われるような何かをしたはずがない。なぜ、自分の扱い商品を大好きでなければならないのだろう。
たとえば、釘をつくっている人は、釘が大好きで大好きで仕方がなく、世界各地の釘をコレクションしたり、アンティークの釘を部屋に飾ったり、毎日釘で何かをうちつけたりしなければならないのだろうか?
誰かが必要とするスペックの釘を誰よりもうまく誰よりも安く提供して、社会の役に立つことで十分ではないか。
釘は大嫌い、釘を見るのも嫌になったと言って、その仕事を辞める人などいるのだろうか。
そもそも、扱い商品が嫌いだからっていうことがわからない。
さらに、うちなどは小さな会社だから、自分で何かの販売のネタをひっぱってくるとか、ウェッブベースのサービスを考えてみるとか、販売方法を提案してみるとか、いくらでもやってみることができるのだ。
会社の売上を伸ばす、サービスの質を上げる提案や工夫は、いつもウェルカムだ。
もし、その提案がうまくいけば、大きく会社に貢献できるし、会社の主力商品を変えて、自分が楽しい方向に会社を変えてしまうことだってできるのである。
そういうことは、会社の業務と無縁につくった30%の時間で生まれるものではない。会社の業務を良くしたい、もっと売上を上げたいと、100%の努力を注いでいるときに生まれ、それを追求していく過程でこそ、本当に武器となる実践的なスキルが身につくように思うのである。
それは資格の類でなく、実践に役立つ、本当に社会に役立ち、汗をカネに変えることができるスキルなのである。
本に書いたように、僕は若いうちの何年かを会社に対して半身の姿勢で過ごした。それが後に尾を引いた点はあったにせよ、その後は100%を会社の業務に注ぎ込んだ。
100%の力で業務に没頭しているとき、僕は、転職に有利になるほかのスキルを身につけようとは思わなかった。そう思わなくても、会社を辞めてしばらくしてわかったのだが、僕にはその時期に、小売のノウハウの奥深いところを自然とスキルとして身につけていたようだ。
だから、会社を辞めたとき、手に職はないと思っていたのだけれど、実際はそういうスキルが身についていたから、こうして商売を立ち上げることができたのだと思っている。
僕が勤めた会社も一時リストラをした。
が、僕の同期の連中の半数以上は会社に残っている。
そして、どうやら僕らの同期はあたり年だったようで、少なくない人たちが取締役になっているのである。
もちろん、彼らはAのタイプの人たちだ。
あくまで、これは僕の、一般的な条件下における意見だ。
たとえば、Bさんのような生き方をして、中国語とプログラミングを身につけ、給与の良い会社に転職したというような実例もあるに違いない。
だが、Bさんのような生き方をせよとの声がバランスを欠いて大きくなっているような気がするのは僕だけだろうか。
少なくとも、Aさんのリスクが高いのか、Bさんのリスクが高いのか、じっくり考えてみる価値はあると僕は思うのである。
photo by Joshua Earle