とても切ない文章に出会った
いつものようにMediumを読んでいたら、とっても切ない文章に出会った。
実家のリサイクル店を大きな夢もなく継いだ若い男性の話である。
ある日彼の店に美しい女性が、男性の服や時計などの身の回りのものを売りに来る。
状況からしてどうやらそれは盗品らしい。
どこかのホテルで朝目が覚めて、自分のスーツや時計や財布といっしょに一晩をともにした美女が消えていることに気がついた男性の姿が、彼にはっきりと見える。
しかし、彼はその女性に恋をする。
そして、盗品とわかっていながらそれを買い取る。
その日以来、彼女は何度も店にやって来る。
盗品らしきものを持って。
ある日彼は彼女を飲みに行こうと誘う。
彼女は彼の冴えない部屋にやってきて、一晩を過ごす。
朝起きたときには・・・
という話だ。
なんだか、とても切なかった。
そのリサイクル店を継いだ男性の空虚な心情、わかっていながら抑えられない恋する気持ち、その彼の気持ちを知りながら、おそらくすべてを察していつつも彼の部屋に来て、朝には掻き消えて、お決まりの仕事を冷徹にやりぬく彼女。
筆者のHengteeさんが言うように、買うことにも、売ることにも、恋することにも、失うことにも、すべてにそれなりの理由があるのである。
しかし、そのすべての理由の最奥にはあるのは、なんだろうか。
虚無、絶望、諦念、運命・・・。
そこになにかがあるのか、そもそもなにもないのか、僕にはうまく表現する能力がないが、強い光を放つものでないことは確かだ。
こういう文章を読むと、僕も、自分が感じているそのどうしようもない気持ちを文章にしたくなる。
50数年生きてくると、とても切ない話を聞かせてもらうことがある。
それらは、たいていは、恋とか結婚とか運命とかにまつわる話で、あまりの切なさに聞かされたその事実をそのまま文章にして誰かに伝えたくなる。
だが、もちろん、それは書けない。
名前を伏せたとしても、それが誰のことかわかる人もいるし、そもそも、本人がその切ない物語を他人が文章にしているところを見たくもないだろう。
この文章がすべて事実なのか、部分的にフィクションなのかはわからない。
だけど、たった今、僕が書きたいと思ったものは、やはりフィクションという形態でしか書けないのである。
僕が出版の見込みもない小説を書いているのは、そんな理由である。
やっと60,000語弱、全体の4分の1を超えたところだ。
完成させたところで、読んでくださる人はいないかもしれないが。
PS 読みやすい英語です。勉強がてら、いかがでしょうか?
photo by Jaime González