映画『セッション』に見た至高のものを求める道
映画『セッション』だが、とても良かった。
ふたつの道がある。
ひとつの道は、ひたすら至高のものを求める道だ。世界最高の演奏、世界最高のアート、世界最高の製品を目指す。
そのためには多くのものを犠牲にして、極限まで努力しなくてはならない。
もうひとつの道は、ベターなものを目指して、バランスを取りながら進む道だ。
犠牲にするものもあるが、人生にはほかにも大切なものがある。
健康や家族や友情や静かな時間。それを守りながら、ベターなものを目指して努力する。
至高のものを求める道を行く人は、激しい感情を持っている。
至高のものへの強い愛情と、中途半端なものへの激烈な憎悪。
その鋭利さが周囲の人を傷つけずにはおかない。
ベターなものを求める人は、至高のものを求める人を理解できない。
至高のものを求める人は、ベターなものを求める人に、至高のものを目指すように強要しがちだ。
それができないなら去れと言わんばかりだ。
それが嫌で去れるものは良いが、去れない事情のあるものには、地獄となる。
では、至高のものを求める人のもとに(圧倒的な力をもっている人のもとに)、同じく至高のものを求める人がやってきて教えを乞うとしたら、どうなるのだろうか?
壮絶な指導を耐えぬいて、そこには、究極の師弟愛が生まれるのだろうか?
そこでどんなドラマが展開され、最後の最後に、一瞬の火花のように生成されるものがなにか。
映画『セッション』が描いてみせるそのドラマと結末は、あまりにリアルだ。
そのストーリーは想像を超えているが、甘っちょろい想像を超えて、はるかに激烈にリアルなのである。
そして、僕は思った。
やはり僕は、「至高のものを求める道」を行く人間にはなれそうにないと。
あなたはどんな感想を抱かれるだろうか・・・
photo by Kai Engel