「僕」のブログ、「私」のブログ、「俺」のブログ
photo by Ichiro
僕はこのブログを「僕」という一人称を使って書いている。
もうそれなりの歳なので、「僕」という言葉に多少の違和感を感じないでもない。
「僕」「ぼく」「ボク」。
どう書いても、なんだか青い感じ、未成熟な感じがする。
なんだか、「僕」だから、青いこと書いても許してね、みたいな雰囲気がある。
すでに安土桃山時代なら人生を終えていておかしくない歳になっていて、「僕」という殻をまとうのはどうなんだろうか、という気持ちにもなる。
たとえば、戦国時代にブログサービスがあって、55才の豊臣秀吉が4月12日のブログ記事に、「『僕』は朝鮮出兵を今日開始した」と書いていたとしたら、やはりかなり大きな違和感を感じてしまう。
たぶん、ブログなどと言うサービスが始まる前は、よい歳をした大人には、「私」しかなかったのではないかと思う。
「私」というのは、ある意味、社会的な存在としての自分の呼び方で、もちろん実在の個人と結びついている。その「私」を一人称にすると、社会的に許容される範囲の言動しか許されない。もちろん、「私」だって、ときには、愚痴を言ったり、世話になっている相手のことをボロクソに言ったりするが、それはあくまで相手を限定したしゃべり言葉であり、その場で一定の役割を担ったあとは、消滅する。
だから、基本的には、よい歳の大人には、「私」しかなかったのだと思う。
「僕」がブログを書くと、「自分のオヤジのような歳の人が普段考えていることが知れて新鮮!」という反応を若い人からいただく。
そういえば、僕が若いころ、ふつうの大人たちが、自分の父親が、どんなことを考えているのか、どんな風に日々のことを感じて生きているのか、知るすべはなかった。
自分のオヤジが、「僕」という一人称でブログを書いているなどということは、想像を絶する!
ということは、僕が「僕」として、よい大人の仮面の裏に、こんな「僕」がいて、こんなことを感じているんだよと書くことは、恥ずかしいこと極まりないけれど、ひょっとして、何か意味のあることなのかもしれないと思ったりする。
というわけで、まだ当分、恥ずかしい「僕」のブログは続きそうだ。
ほんとうは、襟を正して「私」のブログにするべきなのだけど。
しかし、ほんとうの、ほんとうの、ほんとうの本音は、「俺」のブログを書いてみたいのだ。
つまり、なんというか、『ダーティーハリー』のハリー・キャラハン刑事がもしブログを書いたなら、みたいなブログが書きたいのだ。
その時の一人称は、けっして「僕」ではあるまい。
そして、「俺」は、「俺」のブログを、ひょっとしたら、すでに匿名で、どこかではじめているかもしれないのである・・・ヽ(^◇^*)/