『”菊”にあげたかったアボカド(前半)』~刺さる話・全文翻訳
ひとつの記事に心揺さぶられた。
少し長い記事なので要約しようかとも思ったのだけど、この話はディテールとストーリーが不可分になっていて、エッセンスだけお届けするのは無理のように思える。
そこで全文翻訳にとりかかったけど、今朝は3分の1ぐらいで時間切れとなってしまった。
明日、なんとか全文を翻訳できると思う(もう1日かかったらごめんなさい)。
長い文章の最後の一行が、きっと、あなたの心にも刺さる。
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An Avocado for Chrysanthemum (”菊”にあげたかったアボカド)
筆者:Allie Wuestさん
それは2012年のことで、私にはすべてのことが不可能に思えていた。
私のノートは白紙で一ページも書かれていなかった。
ベッドサイドのテーブルに積み上げられた本を、開いて背に折り目を入れることすらできずにいた。
たった1マイルしか離れていないのに、ビーチへ行くことすらできなかった。
ケープコッドで私がきちんとできたたったひとつのタスクは、ウエイトレスの仕事のために身支度することだった ー ポニーテールにして、マスカラを少しつけて、青いポロを着て、コンバースのスニーカーを履く。
私は虚栄心を失っていた。虚栄心とは他人に自分をいかによく見せるかということに気を遣うことで、一種の贅沢だ。気遣いは贅沢だ。気遣うことは不可能に思えたので、かわりにわたしはルーティンをすることにした。ルーティンは可能だった。
私はこの新バージョンをためしていた。その仕事を5月に始め ー その時は8月だった ー 当初逃げ道だと思えたそれは、閉じたドアになりつつあった。私はレストランに順応できずにいた。ニューヨークの大学で1年目を終えたばかりで、何をすべきかわからなかった。心が折れた私は、ビーチのレストランで働くことが、空っぽの財布と空虚な毎日の状態を同時に解決する完璧なことに思えたのだった。
レストランは、小さな家族経営の古びた店だった。「オーシャン」という言葉を含む名前だったけど、海からは離れていた。客はほとんどが60代70代の人で、もっとも人気のあるメニューは子牛のレバーだった。
私はいつもナンシーと働いた。ナンシーをはじめて見た時、私はついまじまじと彼女の顔をみつめてしまった。まるで誰かがマイクアップ・ガンをもってそれで彼女の顔を撃ったみたいだった。ピンクと青と黒が、彼女のオレンジの肌のラインにべとべとと塗られていた。壁の穴を埋めるコーキングみたいに。
ナンシーはいつも前夫に酷い目に合わされているといっていた。ほんとうのところは彼は彼女の前夫ではなかったが ー 二人は結婚していなかった ー 酷い目に合わされているのはほんとうだった。最初ナンシーは私を信頼してくれていると思っていた。私はこの風変わりな友だちをもてたことに、慰めを感じた。
(明日に続く)
Photo by Lee Jordan