1976年のマドンナ
Kさんは僕らのマドンナだった。
高校1年の時、僕は彼女と同じクラスだった。
彼女は輝くばかりに美しく、クラスで一番というだけでなく、学年で最高の美人だと言われていた。
僕は勉強がとりたててできるわけもなく(進学校でみんな優秀だった)、授業中に面白いことが言えることもなく、一応、柔道部に所属していたが、3年生のとき学年で6人しかいなかったのに、唯一の補欠に選ばれるぐらいだったから、劣等感の塊のようなものであった。
Kさんは気さくな人だったが、僕には、遠い遠い完全に別世界に住む人だった。
彼女の美しさと、僕の劣等感が、その距離を必要以上に広げていたことは否めない。
薄れた思い出のどこかに彼女がいるシーンがないかと探してみるのだが、やはり、高校時代にKさんと話した思い出がない。
2年になるときクラス替えがあって、彼女とは別のクラスになった。
その時点で彼女は完全に別の世界の人になった。
もちろん、別のクラスにいても、彼女の輝きは僕に伝わってきた。
やがて、僕らは卒業し、僕は浪人生活に入り、彼女とはまるっきり接点がなくなった。
僕は翌年大学に合格し、5年かけて卒業して、百貨店に就職したのだが、彼女の噂も聞かないままだった。
会社に勤めてから、時々、同窓会の連絡があった。
僕らの高校は2年生と3年生のとき、同じクラスなので、クラスのつながりは強く、クラス単位の同窓会は、毎年続けていた。
それとは別に年次に関係なくひらかれる同窓会もあって、Kさんが僕らの学年の幹事みたいなことをやってくれているということは知っていた(正確には違うかもしれないけど、そんなかんじ)。
彼女は僕らのマドンナだったから、そういう役を引き受けてくれて当然なのかなと、僕はなんとなく思っていた。
3年前ぐらいだろうか。
ある時、フェイスブックで彼女から連絡があった。同期卒業生のフェイスブックページをつくっているから、見に来て!みたいな連絡だったと思う。
そこに顔を出してみて、彼女が高校時代の友達と、30数年経ったいまでも、さまざまなイベントをしたりして、交流していることを知った。
そのページのおかげで、僕も昔の友達との交友を復活することができたのだが、やがて、学年全体で同窓会をやろうということになったらしかった。
僕はクラスの同窓会にはかなり頻繁に顔を出していたのだが、学年全体の同窓会に行ったこともなければ、行きたいと思ったこともなかった。
そこは思い出したくないことばかり詰まった場所であり、忘れ去ってしまいたいと思いこそすれ、懐かしく何かを思い出したいところとは思えなかったのである。
しかし、その時は、Kさんに誘っていただいたフェイスブックでの交流が復活していたこともあり、高校1年のころの友達と無性に会いたくなり、その同窓会に参加することにしたのである。
同窓会は大成功だった。
数人に男性が集まっているところに呼ばれて、その顔ぶれを見た時、「こいつら誰?」と思ったのだが、やがて話をするうちに、彼らがともに道場で汗を流した仲間だったことを思い出した。
僕が忘れたいと思っていたこと、仲間が、どれほど大切で愛おしいものか、僕は卒業以来、はじめて知ったのである。
そして、同窓会の最後に、Kさんが請われてステージに上がった。
その同窓会をかくも盛大に成功させたのは、誰がどうみても、Kさんのおかげだとわかっていたからだ。
万雷の拍手だった。
さて、それでも、僕はKさんのことを本当には知らなかった。
彼女はあいかわらずマドンナで、みんなの中心にいるからそういう役目が自然にまわってくるのだろうと、ぼんやりと考えていたのである。
それは、僕の認識不足だった。
最近、僕は本を出させていただいた。
多くの知人や仲間がフェイスブックで紹介してくださったり、わざわざ購入して読んで下さり、その感想をフェイスブックやブログに書いてくださった。献本先を教えて欲しいというお願いに、知人のマスコミ関係者の人を教えてくださったかたもいる。(ほんとうにありがとうございます!)
そして、Kさんだ。
Kさんは僕の本を購入して読んでくださり、その感想をメッセージで送ってくれただけでなく、高校の卒業生のオフィシャルページの掲示板に書き込みをしてくれたり、献本する先を紹介してくれたり、人並みはずれて親身になって、僕の初出版が成功するようにと行動してくださった。
本に関するメッセージの数は、彼女からいただいたものが一番多い。
そして、僕は、遅ればせながら、ほんとうに遅ればせながら、彼女の真価を思いっ知ったのである。
あの時、同窓会の最後に、Kさんを舞台に上げて、みなが最大の拍手を送ったのは、彼女が僕の出版に際してしてくれたようなことを、数多くのクラスメートたちに、そしてきっと職場の人たちや家族にも、いつも自然とやってくれているからに違いない。
さほど親しくもなかった僕にさえ、それだけのことをしてくれるのだ。彼女は、誰かが助けが必要というときに、いつもこうやって一生懸命手を差し伸べてきたのだ。
だから、そういう一人ひとりの感謝の気持ちが、あの万雷の拍手になった。
僕やほかの多くのクラスメートと同じく、Kさんの人生もけっして平坦ではなく、今も、坂を登り続けるような毎日だと聞いた。
30年という時は彼女の外見をいくぶんかは変えた。
しかし、Kさんはあいかわらず、僕らのマドンナで、その輝きは深みをましこそすれ、薄れることはない。
Kさん、ほんとうにありがとう!
あなたは永遠に僕らのマドンナだよ!
photo by Shayna Hobbs