ICHIROYAのブログ

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あなたにしかできない仕事はない?

 

僕が風邪で10日も寝込んだっていうのに
会社は潰れもせず プロジェクトも進んでるみたいだ
僕にしかできないことって いったいなんだろう?
僕にしかできないことって何か本当にあるのか

 

 馬場俊英さんの”平凡”にでてくる歌詞だ。
 その歌詞は飲み込めばまるでナイフのように僕らを傷つける。
 けれど彼の歌は、平凡であること、そして、代替可能であることの悲しみ、怒り、寂しさ、虚しさを噛みしめた先にある大切なものを教えてくれるのだ。

 1週間ほど前に、この素晴らしい記事を読んだ。
 
 「あなたにしかできない仕事」はない NPO法人フローレンス代表理事 駒崎弘樹(4)

  
 1仕事を2人で担当する仕組みに変えて、仕事を共有しやすいように替えたことで、非常に効率が上がったという。
 その過程で一番苦労したのは、管理職のマインドを変えることだったそうだ。
 そして、彼はこのように書いている。(一部省略した。意味は変わっていないと思う)
 
 

 あなたは個人としてはかけがえのない人だけど、職場としては代替可能な人間です。それは僕も同じです。
 「誰にもできないことができる人になって、皆から頼られて自己実現」という考え方は間違っている。
 社員には、そんなところで自己実現しないでほしい。
 なぜならそれは個人の最適化であって、全体の最適化ではありません。組織としては全体の最適化を目指すべきです。
 では社員は仕事で自己実現はできないのか。そんなことはありません。それは組織がビジョンとして提供すべきなのです。
 僕らの事業でいえば、すべての困っている人たち、子供たちにすばらしい病児保育や小規模保育を提供する。そしてすべての親たちが仕事と子育 てを両立できるしなやかな社会にする、というビジョンに向けて自己実現してほしい。
 会社の大きな目的と個人のビジョンを重ね合わせ、そのビジョンを実現し ていくプロセスにおいて自己実現してほしいのです。

 

  素晴らしい話だな、と思った。
 彼のもとで働く社員の皆さんは、ほんとうに幸せだ。
 そして、僕は、もちろん、彼から比べると全然格下の経営者なのだけど、そんなふうに、社員たちをまとめていけるだろうかと自問せずにはいられなかった。
 もちろん、僕も自分たちの仕事、僕らはアンティークやリサイクルの着物を国内外に向けて売る仕事をしていて、「世界に向けて日本の文化を発信したい」「日本の文化継承に役立ちたい」「着物という買いにくいものを便利に買えるようにしたい」というビジョンをもっている。
 また、100年後、200年後の人たちのために、アンティーク着物の画像を後世に残すNPOを友人と立ち上げようとしており、ちょっとでも、毎日の仕事が、意味のあるもの、単に通り過ぎていくものにはならないように、と願っている。

 だけど、僕にはスタッフたちに、「あなたは代替可能だよ、でも、僕の掲げているこのビジョンを共有することで、自己実現して欲しい」と面と向かって宣言して、みんなに心の底から納得してもらえるかどうか自信はない。

 しばらく、この話が胸の中につかえていたのだが、吐き出してしまいたいので、この記事を書くことにした。


 駒崎さんの話のなかで一番難しいのは、「ビジョン」に関する部分だと思う。
 NPOや一部の会社を除いて、一般的に、会社というものは、残念ながら、天空にはっきりと輝く星のような「ビジョン」を目指しては動いていない。
 個人が代替可能であるように、会社も代替可能な場合がほとんどではないだろうか。
 つまり、ある会社は倒れても、その穴はすぐにライバル会社や新興の会社が埋めてしまう。
 「ビジョン」ではなく、「競争」に支配されている。
 「ビジョン」は印刷され社員に配布され社長室を飾っているけれど、社長も社員も会社もライバルも、すべてのひとたちを実質的に支配して突き動かしているのは、競争であって、勝ちたい、体面を保ちたい、褒められたい、負けたくないという思いなのではないだろうか。


 たとえば、大阪の梅田には4店も百貨店がある。
 もしあなたが4店目の店を出す責任者だったとして、梅田という街に4店もの百貨店が必要であることを、どんなビジョンで描いてみせることができるだろうか?
 そのビジョンは、利己的な思いや競争心を薄らげるようなチカラを持ちうるだろうか。
 

 みんながワクワクし、暗闇で道に迷えば、空を見上げてその光を確認する、そんなビジョンというものは、とくに大きな組織では、ないものねだりなのではないだろうか。
 僕は20年間近く組織に属して、そんな風に諦めてきたのだ。
 もちろん、ホンダやSonyの創業期、アップルやFacebookなど、素晴らしいビジョンとともに大きく成長した会社がたくさんあることはわかっている。
 だけど、それはどちらかと言えば、例外なのではないか、と思ってしまうのだ。

 
 人間は、心動かされるビジョンや大義のためには、その平凡な人生を投げ出すこともできる。
 だけど、社長室に額装してある心に届かないビジョンに、人生を賭けることなどできないのだ。

 僕の知っているある会社は、成績の下位の何パーセントかの人たちを毎年退職に追い込み、新しい人を採用している。
 ビジョンもなく、スタッフは代替可能であるという考えを徹底し、競争という野獣をそこに離すと、そういうことになってしまう。


 とても僕にはできない。
 たいしたビジョンもない僕は、なんとか競争に勝ち残りつつ、今いるスタッフのチカラが最大限発揮されるよう、それぞれの得意なところが最大限チームに活用されるよう、そしてそのことで、スタッフのみんなが自分は必要とされているんだと感じてもらえるよう、全力をつくすほかない。


 僕はいつの日か、駒崎さんのように、ニッコリ笑って、「君は代替可能なんだよ」って言えるのだろうか・・