やめろよ!と言いたくて言えない、蕎麦屋開業
大学時代の友人が、蕎麦屋の開業を検討している。
僕と同じ歳、53才か54才である。
伊達や酔狂で蕎麦屋のオヤジになるわけではなく、それで家のローンや子供の学費も稼ぐ必要がある。
蕎麦屋だけは、やめろよ、と言いたい。
心配で仕方がない。
先に脱サラしてビジネスを始めたものとして、たったひとつのアドバイスは、
1回のトライアルに、すべてをかけることは、よせ。
である。
サラリーマンの頭で考えることは、どうしても、浮世離れしている。
そして、多くの脱サラは失敗する。
でも、せめて、数回のトライアルができれば、世間というものもよくわかるようになり、やがて、立ち上がっていけると思うのだ。
蕎麦屋、って聞いてびっくりした。
つまり、1回のトライアルにすべてをかけて、一か八かの賭けをする、ということだ。
しかも、環境の厳しい外食産業のなかでも、手打ちそば屋ほど、厳しい業種はないように感じる。
そもそも、客単価が低い。
せいぜい、1000円。
20坪、20席、月商200万円で、繁盛店になるらしい。
単価1000円なら、月の客数2000人、営業日25日として、1日80人。
たしかに、昼に40人、夜に40人もお客さんが来るなら、行列のできる蕎麦屋さんになる。
しかし、ここまでになったとして、売上200万円から、家賃、材料費、アルバイト代、電気水道代、設備更新費、社会保険など払う。
しかも、夫婦共働きで、店主ともなれば、朝の麺打ちから始めて、16時間も17時間も働かなければならない。
それが望みうる天井である。
しかし、開業予定のかたの、おおむねの月商目標は、100万円、客数40人だという。
売上が半分になっても、出ていくものは半分にならない。
夫婦で早朝から深夜まで働き、残って数十万円。ひとり20~30万円にしかならない。
しかも、それも達成できずに、店を畳むひとがあとを絶たない、という。
やっぱり、やめろよ!
と叫びたくなる。
しかし・・・・
僕のいるビルの1階は、いろんなお店が出たり入ったりしている。
1階正面は、駐車場に向いており、駅に近いが、人通りはない。
ある時、手打ち蕎麦屋をするという方が、入ってこられた。
たまたま、工事中に、その店主とお話することができた。
たしか、55才ぐらいの男性で、やはり、脱サラで、ある有名蕎麦屋さんで修行してきた、という。
失礼ながら、僕は、彼のお店は、絶対に失敗する、と思った。
そもそも店鋪・立地選びで間違えている。
人柄も、気の良い中高年サラリーマンそのもので、飲食店の店主のもつ凄みのようなものがない、と。
オープンして、お店に寄せてもらったら、たしかに美味しかった。
ご主人が打った蕎麦は美味しく、洒落たオカズの小皿もついている。
お腹にはちょっと物足りないが、奥様の給仕も、心がこもっている。
心配したとおり、当初、お店はガラガラであった。
で、僕のところに来客があったときは、かならずお連れし、僕も、二日に一回は、お昼を食べにいった。
そして、数ヶ月ぐらい経ったころ、いつの間にか、昼、満席になるようになってきた。
お昼を食べながら聞き耳を立てていると、どうやら、ここ、南大阪界隈には、美味しい手打ち蕎麦屋さんがあんまりないらしく、静かに口コミが広がっているようであった。
彼のお店は、たしかに、繁盛店になりつつあったのだ。
結局のところ、上に書いたような、経営、数字面での制約はある。
しかし、それでも、成功させて、自分の道を貫くひともいるのだ。
何が彼を成功させ、彼の何が、ほかの多くの失敗者と違うのか、僕にはわからない。
だから、僕には、言えないのだ。
絶対に、蕎麦屋はやめろよ、とは。
ところで、その1階の蕎麦屋さん、いまは、もうない。
繁盛しているな、と思ったちょうどその頃、上げられないシャッターに、一枚の張り紙がなされた。
「諸般の事情のため、しばらく休業いたします」と。
なんだ、この張り紙は!
口コミで遠くから訪ねてくれたひとに、こんな不親切な張り紙はないだろう、と思った。
が、実は、彼は癌にかかっていたのだった。
あっという間に、彼は亡くなり、店は畳まれた。
奥様が、「好きなことをやれて、主人は幸せだったと思います」とおっしゃっていたのだけが、救いだった。
だから、
心配で、心配で、仕方がないとしても、
やっぱり、僕は言えないのだ。
蕎麦屋なんて、絶対に、やめろよ、とは。
*経営の数字については、ブログ「蕎麦屋ってやつは・・・」 を参考にさせていただきました。