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ICHIROYAのブログ

元気が出る海外の最新トピックや、ウジウジ考えたこととか、たまに着物のこと! 

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いくつになっても人生はフィックスされない

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  自分が参加させていただいたオフ会の記事を読んでいたら、シロクマ先生(シロクマ (id:p_shirokuma))が「最年長のかたに至っては“やがて還暦"」と書かれていて、地面がひっくり返った。
 たしかに僕は56歳で、「四捨五入したら60か」と思ったことはあれ、自分のことを「やがて還暦」と考えたことはなかった。
「還暦」。
 ふむ、なかなか素敵な言葉だ。

 人間というのは、どんな年齢になっても、周囲が自分に向ける目と自分自身の体感に、大きな差があるようだ。
 口では「おじさん」の時代はそろそろ終わりで、「おじいさん」になる準備中みたいに言うのだが、ほんとうのところ、リアルな体感がそうなっているかというと、かなり怪しい。
 なんとなく、自分の体感は、永遠に「おじさん」で、「おじいさん」にはならないような気もするのだ。

 シロクマ先生は、著名なブロガーであり精神科医である。
 たまたま、二次会でじっくりお話を聞くチャンスがあって、お時間をいただけたのだが、とても面白かった。
 僕のほうは最近ブログを書く意欲が薄れていて、その理由を説明したのだが、シロクマ先生は、すべてに頷いて、「それがインターネットというものです」とおっしゃるばかりで、ぜんぜん反論されない。
 しかし、頷くばかりのシロクマ先生は、最近とみにテンションの高く、人気記事を連発されているのである。

 そのうち、合点した。
 シロクマ先生は、インターネットやブログというものを、僕などよりはるかに熱烈に愛しておられるのだ。
 ネガティブな面も好奇心の対象にこそなれ、だから、距離を置くというふうにはならない。
 インターネットやブログを語る時のシロクマ先生の目は、少女漫画の主人公そのもののように眩しいばかりに輝いている。

 ところで、シロクマ先生は、40才を超えたら人間はフィックス(固定)される、とおっしゃっている。
 ブログでもオフ会でも。
 反論した。
 人間は何歳になってもフィックスされない、と。
 たとえば、僕は42才のとき、そういった閉塞感に会社を飛び出して起業した。また、52才頃からブログを毎日書き始め、今は小説を書いている。事業の面でも、新しいことに挑戦しつつあるところだ。
 中年期、自分の限界を知る。そして、壁に囲まれて、たしかに自分の人生がフィックスされるように感じる。けれど、その時にできる壁のうち、最大のものは、じつは自分自身が築いた壁である。
 それを自分で乗り越える努力をしてみれば、乗り越えることのできる壁も多い。
 やってみれば案外できることも多く、フィックスされているかのように見えても、実際のところ、ぜんぜんフィックスされないのだ、と。

 シロクマ先生は、歳上の僕に敬意をもって接してくださったので、とくに反論されなかった。
 だが、それはあなたの特殊な場合であって、精神科医としてあるいはブロガーとして多くの人間を見てきた自分の信じるところでは、「ふつーの人間は、やはりフィックスされるのだ」と思っておられたのだと思う。

 フィックスされると、精神科医のシロクマ先生がおっしゃる。
 フィックスされないと、僕が言う。
 多くの人にとって、シロクマ先生のおっしゃることが正しいに違いない。
 でも、やっぱり、僕の人生は、フィックスされてなんかいない。
 「もうすぐ還暦」であったとしても。

 

 ところで、そのオフ会が終わってから、もう2週間ぐらい経つ。
 シロクマ先生に大きな刺激をもらいながらも、ブログ熱は盛り上がらない。
 毎日、小説は書いていて、26万語におよんだ初稿の推敲を半分ぐらい終えたところだ。どれほど遅くとも、年内には完成する。
 でも、今日、久しぶりにブログを書きたくなった。

 シロクマ先生にお伝えしたいことがある。

 まあ、僕は「ふつーのおじさん」ではないかもしれない。 
 そして、たしかに、40を超えたら「ふつーのおじさん、おばさん」の人生はフィックスされるかもしれない。
 だけど、40を超えても、還暦が近くなっても、フィックスされない人生もある。
 僕がその実例だ。
 ネガティブな面があっても、こうやってたまにはブログを書かずにはいられないのは、きっと、まさにそのことを誰かに伝えたいからだ。

 そうであって欲しいと思う。
 多くの人が、いくつになっても、フィックスされていない明日を、わくわくして迎えるような人生を送って欲しいと思う。 
 シロクマ先生がおっしゃるように、もし、大多数の人にとってそうではないとしても、そうであって欲しい、そうであるはずだと願って、書く。


 いくつになってもフィックスされていない人生。
 それはきっと、ただのファンタジーではない。
 
  

photo by Dave Heuts