ICHIROYAのブログ

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最高のセールスパーソン

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 20年以上昔、和食器売場のマネージャー職を拝命した。
 直前の担当は営業企画部で主にレポートを書いたりする仕事であり、売場のマネージャーははじめての体験である。
 もちろん、新入社員の時から数年間、売場を体験してはいたので想像がつかないわけではなかった。だけど、一般社員、あるいはサークルリーダーとして、下から見上げていたマネージャー職はとても大変そうに見え、自分にそれをまっとうする能力があるのか、とても不安になった。
 それはまるで、冷たい海に生まれてはじめて入るみたいな体験であった。

 その売場にOさんがいた。
 Oさんは小柄で頭の回転の早い20代の女性で、大きな目が印象的な人であった。
 2,3人いたサークルリーダーのうちのひとりで、特選和食器を担当し、シーズンごとの提案をするメインのスペースなどの企画やディスプレイも担当していた。
 彼女はリーダーとしてとてもしっかりした人だったが、同時に、最高のセンスの持ち主だった。
 彼女がほんの少しだけでも手をいれると、ディスプレイが激変するのである。
 誰かの作家物をテーマスペースに展示するとする。彼女がたまたまいない時など、僕も自分で陳列してみるのだが、どれほど時間をかけてもカッコよくならない。一緒に置くランチョンマットや箸置きを何度も取り替えてみたり、置く角度を変えてみたりと、さまざまなトライをするのだが、何かが足りない。
 翌日、彼女に手直しを頼むと、「いやあ、できてますやん~~」と笑いながら、ほんの数分、手を入れてくれるのだが、結果、ディスプレイがまったく別ものになるのである。
 
 さて、マネージャー職として仕事をはじめた直後、僕はそのOさんをはじめ、スタッフのみんなから歓迎された。
 その状況が何に似ていたかといえば、民主党が政権をとった直後のような雰囲気だったと思う。
 売場というものはいつも問題をはらみながら、なんとか回っていくものなのだが、スタッフは新任のマネージャーにそれをぶつけてくる。事情がよくわかっていない僕は、安請け合いしたり、約束したり、後でできないとわかったことや、他のこととぶつかって同時にはできないことをやるといったりしていた。
 売場のみんなからは、ああ、この人ならやってくれる、という感じだったのだろう。しかし、のちのちお世話になるとても有能な前任者が、さまざまな問題をなんとかやり過ごしながらギリギリのところで運営してきた売場である。はじめてのマネージャー職の僕が、同じレベルで運営することすらとても難しいことであるのに、最初から問題を解決してみんなが良いと思う売場に変えることができるはずがない。

 そう気づいた時には、すでにスタッフみんなの心は僕から離れてしまっていた。
 まさに、やっぱり、民主党はダメだった、がっかり、という感じである。
 毎朝、朝会で喋るたびに、葬式のような雰囲気になった。問いかけてもほとんど何も帰ってこず、気まずい沈黙が支配する。
 何かしなければならないことがあっても、それをスタッフに頼むことがとてもむずかしくなった。
 それからの1年は、地獄のような毎日であった。自分には百貨店のマネージャー職は無理だ。辞めよう。でも、今日だけはとにかく、会社に行かなければ・・・そんな思いで毎日をやり過ごした。
 
 そんな僕でも、1年か1年半後に、なんとかマネージャー職をこなせるようになるのだが、その最悪の期間、部下としてぎりぎりのところで僕を支えてくれ、また、時には厳しいことを直言して、僕が一人前のマネージャーになることを助けてくれたのが、そのOさんなのである。

 和食器売場のマネージャーは3年やらせていただいた。
 最後の年は、楽しくて仕方がなく、「百貨店の花形職種は売場マネージャーである」と僕を売場に送り出してくださった上司の言葉が真実であることを実感したから、それなりにうまく売場を回していたのだと思う。

 だけど、和食器売場の思い出は、最初の1年の辛さで塗り込められている。
 だから、Oさんをはじめ、和食器売場で一緒になった人たちに会うと、自分のダメマネージャーぶりを覚えておられるんだろうなと思い、身震いするほど恥ずかしくなってしまう。

 Oさんはその後、結婚して退職された。
 もちろん、彼女の優秀さを知る皆から、おおいに惜しまれながら。
 そして、年賀状のやりとりもいつの間にか途絶え、どうしておられるのか、まったく知らぬ間に20年以上経った。
 あれほどの才能があり、ビジネス面でもリーダーとして有能な彼女である。子育てがすんだら、きっとどこかで活躍されているだろうな、とたまに思い出して想像していた。

 そんな彼女が、先日のパーティに来てくれたのである。
 20年以上経ったとは思えない、ほとんど昔のままのOさんがいた。
 ダメマネージャーだった僕のことをきっと強烈に脳裏に焼きつけてくださっているに違いないと思い、恥ずかしくなったが、もちろん、それ以上に彼女の昔と同じ笑顔が見れたことが嬉しかった。
 家庭に入って子育てをし、一段落した今は、黒豆の会社でパートをしているという。
 「ディスプレイとかも?」
 「いえ、そうじゃなくって、私、けっこう、売ってるんですよ」

 短い時間だったので、彼女がどんな立場で「売っている」のかはわからなかったが、ともかく、大会社の外の世界では、「売れる人」が一番たいせつにされるよ、パートだろうがなんだろうが、「売れる人」はきっとそれなりの待遇を受けることになると思うから、がんばってね!と伝えた。
 ひょっとしたら、ピントはずれの話だったかもしれないが、そんな僕のピントはずれには慣れっこになっているはずである。

 で、2,3日前、お菓子が届いたので何かなと思ったら、Oさんからであった。
 昭和5年創業の「 善祥庵」という黒豆の会社の製品である。
 添えられた手紙にパーティのお礼が書かれており、礼儀上であるにしても、かなりこそばいことも書かれていた。
 そして、最後の最後に、欄外の狭いスペースに小さな文字で、「おいしかったら・・・ブログにも・・・よろしくお願いします・・・ (^○^)」と。

 たしかに、美味しかった。
 しっとりと甘く、ひとつはからりとした歯ごたえと抹茶の味。Oさんが送ってくれたからというのもあるだろうけど、妻娘にも好評であった。
 
 僕はなんだかとっても嬉しくなってしまった。 
 欄外についでのように書かれたメッセージを思い出してニヤリとしながら、思うのだ。
 あいつ、たしかに、けっこう売ってるに違いない、相当活躍しているに違いないと。
 だって、誰かにこういう記事を書かせてしまうのは、彼女だからこそなのである。
 Oさんは、たとえパートという立場であるにせよ、やはり最高のセールスパーソンなのだ。
 
 Oさん、本当にありがとう。
 いつも多くのことを学ばせていただいています。
 また、進物に使わせていただきますね!

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